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6 min read AI協働開発マーケティング

連載「温故知新マーケティング実験室」· 第11編/全13編

結局、人は何をするのか

観察者としての関わり方(連載 11・最終回)

ぜんぶAIがやるなら、自分の出番はもう無いのでは。そう不安になること、ありませんか。手を動かす役から、観て・気づき・ルールを設計し直す役へ。AI時代の人の居場所を、最終回で一緒に。

安宅春樹 (Ataka Haruki)

— AZASLAB代表 ・ AIエージェント開発ディレクター

— Shimizu Fumio Architects Co., Ltd. 取締役

ぜんぶAIがやるなら、自分の出番はもう無いのでしょうか

ここまでの話を読んできて、こんな気持ちになった方が、いるかもしれません。アイデアを出すのも、没にするのも、記事を書くのも、立て直すのも、改善するのも、ぜんぶAIがやってしまう。だとしたら、人の出番は、もう残っていないんじゃないか。自分の仕事がAIに溶けていくような、あの心細さ。覚えのある方も、少なくないと思います。

この連載の最終回は、その問いに正面から向き合います。これだけ何もかもAIに任せてみて、では結局、人は何をするのか。先に答えを言ってしまうと、人の出番は無くなりません。ただ、その場所が、手を動かすところから、別のところへ移るのです。温故知新マーケティング実験室で、人が実際に何をしているかを見ながら、一緒に確かめていきましょう。

まず、やらないことを決める

人の役割を考えるとき、実験室がいちばん最初に決めたのは、やることではなく、やらないことでした。人は、記事に手を出さない。これです。

第1回でお話しした通り、もし人がところどころ筆を入れてしまうと、うまくいったように見えても、それがAIの力なのか、人の手直しなのかが分からなくなります。確かめたいのは、人が頑張らなくてもどこまで成り立つか、でした。だから、手を出したくなる気持ちを、あえて封じています。出来の悪い記事を見ても、直さない。じれったいけれど、直さない。やらないことを先に決めるというのは、消極的なようでいて、じつは実験をまっすぐ保つための、いちばん能動的な選択でした。

手は出さない。でも、観て、気づく

では、手を出さずに、ただ眺めているだけなのか。いいえ。人は、観て、気づきます。ここが、観察者という役割の中身です。

AIの稼働は、毎日レポートとして書き出されます。何件を集めて、何件を残し、いくつ案を出して、いくつ止めたか。どこで判断が割れ、いくらかかり、どれだけ時間がかかったか。人はそれを読みます。記事の中身そのものではなく、チームがその日どう動いたかの足跡を読むわけです。すると、数字の並びから、見えてくるものがあります。たとえば、ある時のレポートを読んでいて、こんなことに気づきました。自己改善の仕組みは、たしかに回っている。選別を厳しくし、アイデアを具体的にする方向へ、ちゃんと自分で舵を切っている。それなのに、検査役はあいかわらず1本も通さない。改善が空回りしているように見えました。

そこをじっと見ていると、本当のレバーは別のところにある、と思い至ります。止められた案は、捨てろではなく、直せばまだ見込みがある、という判定でした。だとすれば、効くのはアイデアを盛ることではなく、指摘を反映して直したものを、もう1度検査にかけ直すこと——その作り直しの輪が、まだ無いことが、本当のボトルネックなのではないか。手はいっさい動かしていません。でも、頭はずっと動いている。観察というのは、ぼんやり眺めることではなく、こうして数字の奥にある因果を読みにいく、能動的な仕事なのです。

人が動かすのは、記事ではなく、ルール

気づいたら、人は何をするか。記事を直すのではありません。実験の仕組みのほうを、組み替えます。

さきほどの気づきから決めた次の一手は、特定の記事に手を入れることではなく、「直したものを再評価する輪を、仕組みとして足す」ことでした。個別の作品ではなく、ゲームのルールのほうを変える。これが、人に許された唯一の介入です。1本の記事を良くするのは、AIの仕事。どういう仕組みなら記事が良くなりやすいか、その土俵を設計し直すのが、人の仕事。同じ「関わる」でも、関わる高さがまるで違います。

おもしろいのは、この関わり方をすると、人は個々の判断から自由になれることです。あの記事は惜しい、この案はもったいない、という一つひとつに一喜一憂するのをやめて、一段上から、仕組みそのものの効き具合を見る。手を動かす人から、土俵を世話する人へ。立ち位置が変わると、見える景色も、できることも、変わってきます。

もう1つ、観察者には、ちょっと冷たく見えるくらいの規律が要ります。気づいても、すぐには助けない、という規律です。おかしなところに気づくと、つい先回りして直したくなる。けれど、どこで壊れるかを見届けることがこの実験の目的なら、壊れかけているのを、あえてそのまま見守る場面も出てきます。見逃した粗は、いずれ読者の反応が教えてくれる。だから、あわてて救わない。壊れるところを、壊れるままに観る。それもまた、観察者の大切な仕事です。同じように、たった1度のサイクルの数字だけで良し悪しを決めつけないことも、心がけています。1回の上下に飛びつかず、何度かの流れで傾向を見る。観察には、手を出さない我慢と、結論を急がない我慢の、2つの辛抱が要ります。

これは、AI時代の人の居場所の縮図

この実験室で起きていることは、たぶん、もっと広い変化の小さな縮図です。

これからますます多くの作業を、AIが引き受けていきます。そのとき人に残るのは、手を速く動かすことではなく、何を任せ、どこを観て、どこに線を引くかを決めることです。任せる範囲を設計する。出てきたものを観察して、どこで壊れるかに気づく。そして、守るべき一線と、変えてよいさじ加減を、見極めて据え直す。この連載で繰り返し出てきた、人は判断し、AIは実装する、という分け方は、そのまま、これからの働き方の地図でもあります。手の速さで競う時代から、任せ方と見極めで効く時代へ。出番は減るのではなく、移っていくのです。

まだ、答えは出ていません

正直にお伝えすると、この実験は、まだ途中です。AIだけでブログを運営して、どこまで知識化・運営でき、どこから壊れるのか。自己改善は、人の介入なしに機能するのか。その問いに、きれいな結論は、まだ出ていません。検査を通った記事は、いまも1本もありません。うまくいくのか、それとも途中で破綻するのか、私たちにも分からない。

でも、分からないからこそ、観察する価値があります。そして、どこまで行ってどこで壊れたかを見届けること自体が、この実験のいちばんの成果物です。きれいに完成した話より、こうして途中経過を開いていくほうが、きっと誰かの役に立つ。そう信じて、これからも記録を続けていきます。

もしあなたが、AIに何かを任せはじめて、自分の出番が減っていくように感じているなら——どうか、手を動かす場所から一段上がって、観る場所、気づく場所、線を引く場所に、自分を置き直してみてください。そこには、AIには代われない仕事が、まだたっぷり残っています。任せることは、退くことではありません。一段高いところから、全体を世話する役へ、移っていくことです。

長い連載に、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。この実験がこの先どこまで行って、どこで壊れるのか。そしてもし、思いのほかうまく回ったなら、その仕組みを誰かのために役立てる道も見えてくるかもしれません。そのあたりの続きは、また、別の機会に。あなたのものづくりにも、ここで見てきた何かが、小さく役立つことを願っています。


この実験のプロジェクト概要は 温故知新マーケティング実験室 に。AIエージェント群の構成や設計思想を、もう少し詳しくまとめています。