連載「carb-icr 開発日誌」· 第2編/全14編
判断は医師に、道具は資料に
公開版から投与量計算を外し、役割を作り直す(開発日誌 2)
便利な機能を消したら、その道具に何が残るのか。投与量計算をまるごと外し、残った数字を「逆算」から「主治医に見せる記録の集計」へ——役割そのものを作り直した手の動かし方を、一緒に。
連載「carb-icr 開発日誌」· 第2編/全14編
公開版から投与量計算を外し、役割を作り直す(開発日誌 2)
便利な機能を消したら、その道具に何が残るのか。投与量計算をまるごと外し、残った数字を「逆算」から「主治医に見せる記録の集計」へ——役割そのものを作り直した手の動かし方を、一緒に。
苦労して付けた便利な機能を、自分の手で消す——そうと決めたあとで、「この道具に何が残るんだろう」と不安になったこと、ありませんか。
前回は、自分のアプリを規制の物差しに当てて、投与量に触れる機能が線を越えていると気づいた話でした。今回はその続き、実際に手を動かした記録です。公開しているアプリから投与量の計算をまるごと外し、残った数字の意味を作り直す。引き算から始まる作り直しを、一緒に見ていきます。
最初にやったのは、削除です。インスリン投与量の目安、よく知られた経験則からISFやカーボ比の候補を出す計算、そして血糖の変動を補正して比を逆算する独自の式。治療パラメータの提案にあたる部分を、設定の奥に隠すのではなく、コードごと取り除きました。前回までは「既定でオフ」にして残していましたが、機能として存在すれば判断の対象になる以上、中途半端に持っておく意味はありません。
地味だけれど大事だったのが、すでに使っている人への配慮です。古い設定が端末に残っていると、消したはずの値が亡霊のように生き続ける。そこで、アプリを開いたときに旧バージョンの設定項目を自動で消す小さな後始末を入れました。画面から消すだけでなく、データの中からも消える。消すと決めたなら、見えないところまで消し切る。これは公開リポジトリの履歴でも同じで、過去のコードが簡単に復元できる状態を残さないところまでが、ワンセットでした。
私はコードを自分の手では書かず、AIエージェントに実装させて指揮する形で開発しています。今回いちばん効いたのは、消す範囲の見極めでした。ガイドラインと判断事例をAIに読み込ませ、アプリの機能を1つずつ「これは記録・集計の側か、治療判断の側か」と仕分けていく。人間ひとりで眺めていると、自分が手をかけた機能ほど手放したくなくて判断が甘くなりますが、根拠と機能を機械的に突き合わせていくと、線引きがぶれません。決めるのは私、材料を素早く並べて当てていくのはAI。この分担だからこそ、つらい削除の判断も、惜しむ気持ちではなく基準で下せました。便利な機能を消す局面でこそ、感情から距離を置ける相棒の存在は効きます。
問題はここからでした。投与量の計算を外しても、「糖質 ÷ インスリン単位」という数字そのものは残ります。これを消すべきか、迷いました。でも、この値は使い方しだいで意味が変わる。治療パラメータを逆算する道具として見せれば線を越えるけれど、過去の記録を振り返り、主治医に見せるための集計として見せるなら、ただの記録の整理です。
そこで、同じ数字でも立ち位置を変えました。「あなたのカーボ比はこれです」と前に出す見せ方をやめ、「この期間の記録では、糖質と単位の比はこのあたりでした」と、過去形で、後ろに引いて置く。アプリが何かを決めるのではなく、受診のときに医師と一緒に眺める材料として並べる。コードはほとんど同じでも、言葉と配置を変えるだけで、道具の役割は変わるんですね。何を計算するかよりも、それを誰のどんな判断のために見せるか。前回学んだことを、今度は作る側で実践した格好でした。
具体的には、見出しも文言も書き換えました。「あなたのカーボ比」のように個人の治療値として断定する言い回しをやめ、「集計(主治医との相談用)」と冠して、注意書きを数字のすぐ横に置く。同じ中央値でも、画面の中での居場所が変わると、読む人の受け取り方が変わります。数字は据え置きで、まわりの枠組みだけを組み替える——コードの差分は小さくても、道具の性格を変えるには十分な手当てでした。引き算と、ほんの少しの言い換え。派手な作り直しではないけれど、線の手前にきちんと収めるには、これがいちばん効きました。
集計には、ひとつ判断の余地が残っていました。どの食事を集計の対象にするか、です。食後に血糖が大きく動いた食事は、比がぶれるので外したい。以前はこの幅を利用者が自由に決められましたが、それだと「自分で都合よく調整できる独自の手順」に見えてしまう。そこで、食前後の血糖差が一定範囲に収まった食事だけを対象にする、という基準を固定値にし、しかもそれを思いつきではなく、カーボカウントの文献に書かれている確認手順に合わせました。
そのうえで、採用した計算と基準には出典を明記しました。糖質と単位の比という基本の考え方も、集計の採用基準も、どこの何に基づくのかを書く。出典を示せない計算は載せない、と決めたんです。中身が公知の手順の素直な実装であることを、言葉ではなく、たどれる根拠で示す。医療まわりの数字は、正しさそのものと同じくらい、その正しさを外から確かめられることが大事だと思っています。
この「確かめられる」は、じつは自分のためでもありました。出典を書こうとすると、自分が本当に根拠を分かっているのかが、いやでも露わになる。なんとなく採用していた基準が、いざ書こうとして「これはどこに書いてあったんだったか」と詰まる。出典を添える作業は、読む人への誠実さであると同時に、作り手が思い込みのまま計算を載せていないかを点検する関所でもありました。書けない数字は、たいてい自分でも腹落ちしていない数字なんですね。
仕上げに、受診でそのまま使える主治医用レポートの印刷を足しました。直近の記録と集計を、医師に見せやすい一覧に整える機能です。判断するのは医師、アプリは資料を整えるだけ——この役割分担を、注意書きの文章ではなく、機能の形で言い切りたかった。さらに、その集計は期間を選べるようにしました。直近1週間なのか、2か月なのか。受診の間隔や相談したい範囲に合わせて、見る窓を変えられる。短い診察時間で1か月の変化を言葉だけで伝えるのは難しいけれど、整った1枚があれば、事実をそのまま差し出せます。
今回は、公開版から投与量計算を外し、残った数字を「逆算」から「記録の集計」へ作り直した話でした。消して、意味を変えて、基準を固定して出典を添え、最後に資料を整える機能で役割を言い切る。機能を引くことは、後退ではなく、その道具が何のためにあるのかを定義し直す作業だったのだと思います。
あなたがいま抱えている道具にも、「これは結局、誰の何のためなのか」を問い直すと、見せ方が変わる数字があるかもしれません。同じ計算でも、決めるために見せるのか、振り返るために見せるのか。役割を1度きちんと決めると、足すべきものと引くべきものが、自然と見えてきます。
次回は、では外したはずの投与量計算を、自分のためにはどう持っておくのか——「公開しないで自分だけで使う」という、もうひとつの道を一緒に考えます。
アプリは carb-icr(無料・通信なし・ブラウザで動くPWA)。プロジェクトの概要は carb-icr のプロジェクトページ に。
本アプリは記録と集計の補助で、表示される値はすべて参考です。診断・治療、インスリン投与量の計算、治療パラメータの決定は行いません。投与量・治療方針は必ず主治医の指示に従ってください。