連載「carb-icr 開発日誌」· 第16編/全16編
写真を撮って、単位を打つだけ
手間を消す自動化は、自分のためだからできた(開発日誌 16・最終回)
写真を撮って、ポンプが出した単位を打つ。それだけで、逆算に必要なデータが勝手に育つところまで来ました。たくさんの寄り道を経てたどりついた、いちばんやりたかった一点の話で、この連載を締めます。
連載「carb-icr 開発日誌」· 第16編/全16編
手間を消す自動化は、自分のためだからできた(開発日誌 16・最終回)
写真を撮って、ポンプが出した単位を打つ。それだけで、逆算に必要なデータが勝手に育つところまで来ました。たくさんの寄り道を経てたどりついた、いちばんやりたかった一点の話で、この連載を締めます。
長い道のりの先で、いちばん最初にやりたかったことに、ようやくたどりつきました。今日はその一点の話で、この連載を締めます。
この連載では、自分の治療のための小さな道具を、AIと組みながら自動化していく過程を、一日一日、書いてきました。道具の名前ではなく課題で問う話から始まって、データの出口を調べ、思わぬ場所にボトルネックを見つけ、削るべきものを削り、人の手を奪わないように気をつけ、最後は届け方でつまずきました。寄り道だらけです。その寄り道の積み重ねが、最初に立てた一点へ、どうつながったのか。それを最後に確かめておきます。
たどりついたのは、こんな日常です。食事の前に、料理の写真を撮る。すると、糖質と食物繊維が、見積もられて入る。お店のメニューなら、名前を一言添えれば、公式の値に近いところまで合わせてくれる。血糖も、自分で測りにいかなくても、入っている。手で打つのは、ポンプが計算して出してくれた、インスリンの単位だけです。
そして食事のあと、いちばん忘れやすかった食後の血糖は、もう測りにいく必要がありません。しばらくすれば、仕組みが食後の山を見つけて、記録に書き込んでくれる。逆算に必要なデータが、ひとそろい、そこにそろう。最初に「面倒だ」と思っていた毎食の手入力は、写真を1枚撮って、単位を1つ打つ、それだけに縮みました。
うまくいった自動化は、静かです。派手に何かをしてくれるわけではなく、これまであった手間が、いつのまにか無くなっている。面倒だったことを、面倒だと感じなくなる。それがいちばんいい自動化の形だと考えています。目をひく機能が増えることではなく、当たり前の負担が、そっと消えていること。価値の出方には2通りあって、何かが足された実感と、何かが減った身軽さがあります。自分のための道具では、後者のほうが効きました。増やすほど触る場所が増え、減らすほど続けやすくなる。引き算で価値を出す設計は、使い手と作り手が同じときに、いちばん通りやすいのだと思います。
この道具のいちばんの利点は、使うほど、逆算のためのデータが、ひとりでに育っていくことです。記録しよう、と気合を入れなくても、ふつうに食べて、ふつうに打っているだけで、実測の積み重ねがたまっていく。忘れても、気を抜いても、穴があきにくい。続けることに、根性が要らなくなりました。これは設計上の狙いでもありました。続ける動機を人の意志に頼ると、忙しい日や疲れた日に穴があく。動機ではなく、日常の動作のついでに記録が落ちる作りにすれば、意志の強さに依存しなくて済む。続くかどうかは、やる気より仕組みの問題だと考えたわけです。
育っていたのは、データだけではありませんでした。最初は「画像のAIで何ができるか」という、道具起点の問いでした。それが、課題の問いに変わり、調べる目が育ち、削る判断ができるようになり、うまくいかないときのことまで考えるようになった。道具を作る過程で、作る側の手も、少しずつ慣れていきます。1つの小さな困りごとに、最後までつき合うと、道具と一緒に、作り方のほうも更新されていく。できあがった道具そのものよりも、その過程で身についた目のほうが、次の困りごとにも使い回せる。残るのは、出来上がった物より、その物を作れるようになった手のほうかもしれません。
この一連で、AIは、たくさんのコードを書いてくれました。ただ、ふりかえると、AIがいちばん効いたのは、コードを書いたところではありません。効いたのは、道具の名前で聞いたとき、課題を聞き返してくれたこと。事情を明かすたびに、設計を引き直してくれたこと。「漏れはなさそう?」と聞いたとき、自分のコードを疑い直してくれたこと。出力の量より、問いの向きを変えてくれたことのほうが、設計を前に進めました。
決めるのは、いつも私でした。何を作り、何を作らないか。どこで止まり、どの近道を使うか。AIは、決める材料を差し出す相棒です。現場のことを伝えれば、選択肢を並べ、釘も刺してくれる。指揮するのは人、考えを広げるのはAI。その役割分担が、最後までかみ合っていました。一人で抱え込まず、けれど人任せにもしない。この距離で隣に相手がいると、判断の質が上がります。選択肢が増えるぶん、見落としが減るからです。
AIに任せきると、答えは出ても、自分のものになりません。逆に、全部を自分で抱えようとすると、手が足りなくなる。ちょうどいいのは、その間でした。決めることと、確かめることは、手放さない。広げることと、形にすることは、AIに大いに頼る。この線の引き方さえ手元にあれば、AIは頼れる相棒になります。大事なのは、賢い使い方の小技ではなく、どこを自分が握り、どこを委ねるか、というその線のほうでした。線を決めるのは人にしかできず、線さえ決まれば、その内と外でAIは別の働き方をしてくれます。
この道具は、自分の体のための、自作自用です。人には配りません。それでも、作る過程で考えたことは、こうして書いて、置いておくことにしました。配れないものでも、そこで得た考え方は、別の誰かの別の困りごとに、移し替えがきくからです。物は固有でも、作り方は一般化できる。だから残すなら、物そのものではなく、作り方のほうだと考えました。
道具そのものは、私の手元だけにあります。けれど、課題で問うこと。データの出口を調べること。削る判断。うまくいかないときの設計。届けるまでを設計のうちに入れること。どれも、この道具に固有の話ではありません。自分のための小さな何かを、AIと作ろうとするとき、どこかで1つでも、この連載の考え方が手がかりになれば、書いた意味があります。具体的な道具は配れなくても、考え方は配れる。それが、公開しない道具について書く理由でした。
もしあなたにも、毎日くりかえす小さな面倒があって、それを自分の手で楽にしてみたいと思ったなら、道具の名前からではなく、その面倒の名前から始めてみてください。私は何が面倒なのか。その一文さえあれば、あとは一歩ずつ、調べて、削って、確かめて、届けるところまで、つないでいける。完璧でなくていいし、人に配らなくてもいい。
はじめから完成形を目指さなくて、いいのです。今日の面倒を、ほんの少し楽にする。それだけで、十分に値打ちがあります。一歩進めば、次の一歩が見えてくる。この道具も、最初から全部を見通していたわけではありません。1つ困って、1つ直して、を積み重ねたら、ここまで来ていました。完成形から逆算するのではなく、目の前の1つの面倒を起点に、次の面倒へ手を伸ばす。その積み上げ方なら、見通しが立たないうちから動き出せます。
小さな道具を自分の手で持てると、これまで与えられたものを使うしかなかった面倒に、自分で手を入れられます。気に入らなければ直せるし、要らない機能に付き合う必要もない。この「自分専用」を持てる範囲は、AIが隣にいる今、前より広がっています。コードを書く部分を委ねられるぶん、自分で持てる道具の数が増えるからです。
私の長い寄り道も、たどりついてみれば、写真を撮って、単位を打つだけ、という静かな日常でした。派手な発明ではありません。それでも、毎食の小さな面倒が消えて、続けることが楽になった。自分のための道具を、自分の手で育てる。その自由は、いまも、ここにあります。長いあいだ、おつき合いいただき、ありがとうございました。あなたの面倒も、道具に変えられます。
これは、自分の治療のために作っている自作自用版での話です。広く公開しているのは記録と集計に絞った carb-icr(無料・通信なし・ブラウザで動くPWA)。プロジェクトの概要は carb-icr のプロジェクトページ に。
本アプリは記録と集計の補助で、表示される値はすべて参考です。診断・治療、インスリン投与量の計算、治療パラメータの決定は行いません。投与量・治療方針は必ず主治医の指示に従ってください。