連載「糖質/インスリン比 目安アプリをつくる」· 第3編/全7編
治療は、固定じゃない
「方式が変わる」をデータ構造に織り込む(その3)
いまの状況に合わせて作った道具が、状況が変わった途端に使えなくなる——その脆さを避けるために、「治療方式は変わる」を最初からデータ構造へ。長くつきあう道具の設計を一緒に。
連載「糖質/インスリン比 目安アプリをつくる」· 第3編/全7編
「方式が変わる」をデータ構造に織り込む(その3)
いまの状況に合わせて作った道具が、状況が変わった途端に使えなくなる——その脆さを避けるために、「治療方式は変わる」を最初からデータ構造へ。長くつきあう道具の設計を一緒に。
いまの状況にぴったり合わせて作ったものが、状況が変わった途端に使えなくなった——そんな経験、ありませんか。
前回は、その日その日で変わる基礎インスリンの量をどう受け止めるか、でした。今回は、もっと大きな単位で変わるもの——治療方式そのものの切り替えを、どう設計に織り込んだかを一緒に見ていきます。これは私自身がこれから経験することでもあります。ポンプはずっと付けていられるわけではなく、外せば注射に切り替わる。いまの自分に最適化したアプリが、未来の自分でも使えるように、と考えながら作りました。
ポンプを外すと、インスリンは注射で打つことになります。やり方はいくつかあって、ひとつは超速効型(食前)+持効型を1日1回(基礎の代わり)という組み合わせ。もうひとつは混合型(ミックス)と呼ばれる、超速効型と中間型が決まった比率で1本に混ざった製剤を、朝夕などに打つやり方です。
ここで素朴な疑問が浮かびました。方式が変わったら、1日の総インスリン量(TDD)は単純に全部足すだけでいいのか。前回までの設計は、ポンプを前提にしていましたから。
調べて、AIとも確認して、結論はシンプルでした。TDDは、種類が違っても、その日に打った全インスリンの単純な合計でいい。ポンプなら基礎+ボーラス、注射なら持効型1回分+超速効型の合計、混合型なら朝夕の合計。どれも24時間ぶんを足すだけ。前回作った「毎朝、前日の総量を書き写す」やり方は、注射に変わってもそのまま使えます。
ただし、TDDの合算は同じでも、そこから先のICR(インスリンカーボ比)の意味は方式によって変わる。ここが今回のいちばん大事なところです。
基礎・ボーラス療法なら、食前のインスリンは食事の糖質に対して打っています。だから「糖質 ÷ 単位」でカーボ比を逆算するのは理にかなっている。ところが混合型は、超速効と中間型が固定比率で1本に入っていて、食事ぶんと基礎ぶんを独立に調整できない。運用も「糖質を数えて1単位刻みで打つ」のではなく、各食前は決まった単位を打って血糖のパターンで増減する、という形が一般的です。
つまり混合型で「糖質 ÷ 単位」を計算しても、その単位は純粋な食事ぶんではない。出てくる数字は、本当のカーボ比になりません。意味のない数字を、それっぽく見せてしまうのは、むしろ害になります。
ここは作り手として悩ましいところでした。技術的には、どんな方式でも割り算はいくらでも実行できる。エラーも出ない。数字はそれらしく表示される。でも、計算できることと、意味があることは別なんですね。割り算が成立することと、その答えが「カーボ比」として使えることのあいだには、深い溝がある。あなたが扱うデータにも、「出せるけれど、出してはいけない数字」はないでしょうか。動くからといって出していい数字ではない、という判断が要ります。
| 方式 | TDDは単純合算? | ICRの逆算は有効? |
|---|---|---|
| ポンプ(超速効) | はい | 有効 |
| 注射(超速効+持効型) | はい | 有効 |
| 混合型(ミックス) | はい | 向かない(参考程度) |
そこで、アプリに「インスリン方式の期間」という考え方を持ち込みました。「この日からポンプ」「この日から注射」「この日から混合型」と、切り替えた日付と方式を登録しておく。すると過去のどの記録も、その日はどの方式だったかを自動でたどれます。
これで2つの制御ができました。ひとつは、集計を方式ごとに分けること。ポンプ期と注射期では最適なTDDも体の反応も違うので、混ぜて平均するとぼやける。期間で区切れば、切り替えをまたいで濁りません。もうひとつは、混合型の期間をICRの逆算から自動的に外すこと。意味のない数字を出さない、という引き算の親切です。
この「出さない」という判断は、作っているときには意外に勇気が要ります。せっかく計算できるのだから出したくなるし、欄が空いていると不親切に見える気もする。でも、意味のない数字をあえて空欄にしておくことは、手抜きではなく設計なんですね。混合型の期間には数字の代わりに「参考程度」とだけ添えるほうが、それらしい値を並べて誤解させるより、ずっと誠実です。足し算で親切にしようとするのではなく、引き算で誤解を防ぐ。道具への信頼は、何を見せるかと同じくらい、何を見せないかで決まる——そう感じる場面でした。出せる数字をすべて出すことが親切なのではなく、相手が誤解しない景色を整えることが親切なのだと、作るたびに思い知らされます。
うれしいのは役割分担です。人間がやるのは「いつ変えたか」を教えることだけ。その後の仕分けは、ぜんぶアプリが引き受ける。あなたが何かを仕組み化するときも、人に残す操作は最小の一手に絞り、面倒な帰結はソフトに持たせる——この線引きができると、道具はぐっと使いやすくなります。
この回を作りながら考えていたのは、「いまの自分」だけに最適化したものは、もろい、ということでした。
ポンプ前提で作るのがいちばん手っ取り早い。でも数か月後の自分は、注射かもしれない、混合型かもしれない。そのときポンプ専用に組んだアプリは使えなくなる。「方式は変わるものだ」を最初から構造に入れておけば、未来の自分が切り替えても、アプリは黙ってついてきてくれる。
慢性疾患とのつきあいは、短距離走ではなく長い同伴です。だから道具も、一時点の最適ではなく、変化に耐えるつくりでありたい。「いまの自分」に完璧に合わせることと、「変わっていく自分」に寄り添えることは、ときどき相反します。前者を突き詰めると後者がもろくなる。だから私は、かっちりしすぎない、余白のある作りを選びました。未来の自分が困らないように、いまのうちに逃げ道を作っておく——その繰り返しなのだと思います。
今回は、治療方式の切り替えを「期間」としてデータに織り込んだ話でした。TDDはどの方式でも足せばいい。でもICRの意味は方式で変わるから、混合型は除外する。そして何より、「治療は固定ではない」という前提を、最初から構造に入れておく。
あなたが長くつきあう道具を作るなら——仕事の仕組みでも、暮らしの段取りでも——いまの自分に完璧に合わせる前に、「これは変わるかもしれない」という軸を1つ、構造の側に入れておく価値があります。変わったときに作り直さずに済むことが、長く使える道具の条件かもしれません。
次回は、ここまで貯めた記録を「振り返る」ための仕掛け——外部の部品をいっさい使わず自分で描いたグラフの話を、一緒に見ていきます。
アプリは carb-icr(無料・通信なし・ブラウザで動くPWA)。プロジェクトの概要は carb-icr のプロジェクトページ に。
本記事と本アプリは、記録と目安計算の補助です。算出・表示される値はすべて参考であり、診断・治療や実際のインスリン投与量の決定を行うものではありません。投与量・治療方針は必ず主治医の指示に従ってください。