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6 min read AI協働開発健康

連載「糖質/インスリン比 目安アプリをつくる」· 第7編/全7編

数字を、共通言語に

なぜ私はこれを作っているのか(その7・最終回)

一日中、小さな判断を一人の頭で続ける孤独。その「なんとなく」を数字とグラフに翻訳し、患者と医師の共通言語にする——シリーズの底にあった願いを、最終回として一緒に。

安宅春樹 (Ataka Haruki)

— AZASLAB代表 ・ AIエージェント開発ディレクター

— Shimizu Fumio Architects Co., Ltd. 取締役

その「なんとなく」を、一人で背負っていませんか

一日中、小さな判断を自分ひとりの頭の中で続ける——その静かな孤独に、心当たりはありませんか。

6回にわたって、糖質の計算から、生活の揺らぎ、治療方式の切り替え、グラフの自作、規制への向き合い方、無料で続ける仕組みまで書いてきました。最終回の今日は、技術を少し脇に置きます。そもそも私はなぜこれを作っているのか——ここまでとっておいた、いちばん書きたかったことを、一緒に見ていきます。

血糖管理は、孤独だ

1型糖尿病とともに生きるというのは、ひとことで言えば、一日中、小さな判断を続けることです。何を食べるか、糖質はどれくらいか、いまの血糖はいくつでこれからどう動くか、何単位打つか。運動したから効きやすいかも、さっきのインスリンがまだ残っているかも——こうした計算と推測を、起きているあいだずっと、自分ひとりの頭でやっています。

そして、その多くが「なんとなく」で決まります。なんとなく多めに打つ、なんとなく効きが悪い気がする。誰かが横で一緒に考えてくれるわけではない。この“なんとなく”の連続を、たった一人で背負っている感覚——これが、血糖管理のいちばんしんどいところかもしれません。私の場合は、そこにがんの治療も重なっています。だからこそ、せめて血糖まわりの“なんとなく”を、少しでも確かなものに変えたかった。それが、このアプリの出発点であり、終着点でもあります。

“なんとなく”を、数字とグラフに翻訳する

このアプリがやっていることは、煎じ詰めれば、“なんとなく”を翻訳することです。「なんとなく効きが悪い」は、ICRの推移グラフを見れば、本当に変わってきたのか気のせいなのかが分かる。「この食事は合わなかった」は、散布図の外れた点として目に見える。「最近インスリンが増えた気がする」は、TDDの棒グラフで確かめられる。

ぼんやりした感覚を、誰が見ても同じものを指せる形に変える。それだけで、一人で背負っていたものが、少し外に出せるようになる。自分の体で起きていることを、自分の外側に置いて眺められる。これは、孤独をいくらか和らげてくれる作業だと、使っていて感じます。あなたが抱えている「うまく言えないけれど確かにある感覚」も、1度、誰が見ても同じ形に置いてみると、ずいぶん軽くなるかもしれません。

患者と医師の、共通言語

外に出せるようになった数字は、他の誰かと共有できるようになります。診察で「最近どうですか」と聞かれて、「なんとなく調子が悪くて」と答えるのと、「この1週間、夕食後だけ血糖が上がりやすくて、ICRもこのあたりで動いています」と傾向を見せながら話すのとでは、その後の会話がまるで変わります。

医師は、ぼんやりした自己申告より、記録された事実があるほうが判断しやすいはずです。患者の側も、「うまく説明できない」もどかしさから少し解放される。数字とグラフが、患者と医師のあいだの共通言語になる。診察の時間はたいてい短い。その短い時間で1か月の変化を言葉だけで正確に伝えるのは難しいし、記憶は曖昧です。でも手元に記録とグラフがあれば、「言葉にする」関門を一段飛ばして、事実をそのまま差し出せる。お互いの時間が、すれ違いではなく噛み合うことに使える。

私がこのアプリで本当に作りたかったのは、たぶんこの「共通言語」なんだと思います。大層な計算でも、便利な機能を並べることでもなく——事実をもとに、ちゃんと話せる土台。第1回で「患者と医師のあいだに、話せる余白をつくる」と書いたのは、このことでした。

道具は、出しゃばらない

だから、このアプリは出しゃばらないように作ってあります。前向きな投与量の示唆は既定でオフ。アプリが「こう打て」と指示するのではない。主役はあくまで患者さんと医師の対話で、アプリはその材料を静かに用意するだけ。一歩引いて、必要なときに必要な数字を差し出す。それくらいの距離感が、医療まわりの道具にはちょうどいいと思っています。

不思議なもので、控えめに作るほど、かえって信頼できる道具になる気がします。前に出すぎる道具は、便利な反面どこか不安にさせる。「本当にこれに任せていいのか」と。逆に、一歩引いて材料だけ差し出す道具は、最終的な決定権が自分(と医師)の手に残っている安心がある。主導権を奪わないこと。それが、人生のかかった領域で道具が果たせる、いちばん誠実な役割なのではないかと、何度も思いました。あなたが人に何かを手渡すときも、決めてあげるより、決めるための材料をそっと渡すほうが、相手の力になることがあります。

同じ道を行く、誰かへ

もうひとつ、願っていることがあります。このアプリはソースを公開し、無料で配っています。だから、同じ1型糖尿病と向き合う人が「ここが自分に合わない」と思えば、中身を見て手を加えられる。あるいは、この記事を読んで「自分も似たものが作れるかも」と思ってくれる人がいるかもしれない。

私は医療者ではありません。1型糖尿病と、がんの治療に向き合っている、一人の患者です。専門家でない私が作れるものには限界があります。でも、当事者だからこそ分かる「ここがしんどい」は、たしかにある。その実感を道具の形にして、同じ道を行く誰かに手渡せたら——専門知識とはまた違う種類の、ささやかな貢献になるかもしれません。

ソースを公開しているのには、その願いも込めています。中身が見えることは、信頼の担保であると同時に、「ここから先は、あなたが受け取って育てていい」という手渡しでもある。私が力尽きても、形を変えて誰かが使い続けられる。完璧な完成品を一方的に配るのではなく、未完成のまま、いじれる余地ごと差し出す。長くて人それぞれな道のりには、そういう開かれた道具のほうが、たぶん合っています。

おわりに:あなたの「なんとなく」を、言葉に変えるなら

7回にわたって、1つの小さなアプリを作る過程を書いてきました。引き算ひとつから始まって、生活の揺らぎを受け止め、治療の変化に備え、振り返りの図を描き、止まるべきところで止まり、続く形を整える。技術の話のようでいて、底にずっとあったのは、「血糖管理を、もう少しだけ軽くしたい」という、ごく個人的な願いでした。

このアプリは、これからも完成しません。私の治療が変わるたびに、きっとまた形を変えます。でも、それでいい。道具は、使う人の生活に寄り添ってはじめて道具になるのですから。

最後に、もう1度だけ。ここに書いたことも、アプリが出す数字も、すべて参考です。治療の判断は、必ず主治医とともに。そのうえで——あなたの“なんとなく”が、少しでも確かな言葉に変わり、誰かとの対話が、少しでも滑らかになりますように。数字を、共通言語に。それが、私の願いです。


アプリは carb-icr(無料・通信なし・ブラウザで動くPWA)。プロジェクトの概要は carb-icr のプロジェクトページ に。

本記事と本アプリは、記録と目安計算の補助です。算出・表示される値はすべて参考であり、診断・治療や実際のインスリン投与量の決定を行うものではありません。投与量・治療方針は必ず主治医の指示に従ってください。

(シリーズ完。開発が続くかぎり、不定期の「開発日誌」として、また書きます。)