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6 min read 学び地図同化と調節

連載「「あれ?」が、あなたを賢くする」· 第1編/全3編

学びの正体 — 頭の中の「地図」と「あれ?」

学びとは知識が増えることではなく、頭の中の「地図」が描き直されること。小さな違和感「あれ?」から学びが始まるしくみを、ゼロから一緒に見ていきます。

安宅春樹 (Ataka Haruki)

— AZASLAB代表 ・ AIエージェント開発ディレクター

— Shimizu Fumio Architects Co., Ltd. 取締役

あなたは今日、何かを「学んだ」でしょうか

ちょっと思い出してみてください。あなたは今日、何かを「学んだ」でしょうか。

「いや、特に何も」と思われたかもしれません。でも、本当にそうでしょうか。電車が思ったより混んでいて、明日は一本早く出ようと思った。友だちのひとことに、なぜかモヤッとした。料理の火加減を、前回より少しだけ弱めてみた——こういう小さなことも、実は立派な「学び」なんです。

この記事では、「学ぶってそもそも何なのか」を、できるだけやさしく、でもごまかさずに掘り下げていきます。難しい言葉が出てきても、そのつど身近なたとえで言い直していくので、置いていかれる心配はいりません。どうぞ気楽について来てください。読み終わるころには、勉強や仕事や日常の見え方が、ほんの少し変わっているはずです。

それでは、いちばん基本の問いから、一緒に始めてみましょう。

そもそも「学ぶ」って、知識が増えることでしょうか

「学び」と聞くと、たいていの人は「知識が増えること」を思い浮かべます。教科書を読んで、用語を覚えて、テストで答えられるようになる——たしかに、それも学びの1つですよね。

でも、それだけだと、うまく説明できないことが出てきます。

たとえば、自転車に乗れるようになったとき。あなたは何か新しい事実を暗記したでしょうか。していないはずです。「ペダルをこぐと進む」なんてことは、乗れない頃から知っていました。それでも、ある日とつぜん乗れるようになる。これは間違いなく「学び」です。でも、知識が増えたわけではないんですね。

逆のケースもあります。テスト前夜に必死で暗記して、翌日には全部忘れてしまった単語。あれを「学んだ」と胸を張って言えるでしょうか。なんだか、ちょっと言いにくいですよね。

つまり、学びは「知識が増えること」とイコールではありません。もっと近いのは、こんな言い方かもしれません。

学びとは、世界との関わり方が、以前とは少し変わること。

ここで、頭の中に世界の「地図」があると想像してみてください。何がどこにあって、何をすればどうなるか、という見取り図のようなものです。学ぶというのは、この地図が描き直されることなんです。自転車に乗れるようになるのは、「体をこう動かせばバランスが取れる」という地図が、体に刻まれるからです。一夜漬けの単語が学びになりにくいのは、地図がほとんど書き換わらないまま、すぐ消えてしまうからなんですね。

この「頭の中の地図」というイメージは、これから何度も登場します。どうか覚えておいてください。

学びのスイッチは、「あれ?」という小さな違和感

では、その地図は、どんなときに描き直されるのでしょう。

答えは、ちょっと意外かもしれません。「思っていたのと違った」とき、なんです。

想像してみてください。あなたは飲み物だと思って、コップを手に取りました。ところが持ち上げた瞬間、思ったより軽い。中身が空っぽだったのです。その一瞬、「あれ?」と感じたはずです。

この「あれ?」こそが、学びのスイッチなんですね。

私たちの頭は、いつも先回りして予想しています。「このコップにはこれくらいの重さがあるはず」「この人はこう答えるはず」「ボールはあそこに落ちるはず」。そして予想どおりに事が運ぶと、地図はそのままでかまいません。書き換える必要がないからです。

ところが予想が外れると——軽すぎたコップ、予想外の返事、思わぬ方向に転がるボール——頭は「おっと、地図が間違っていたかもしれない」と気づきます。そして、地図を描き直す。これが学びなんです。

だから学びには、いつもちょっとした 戸惑いや、心地よくなさ がついてきます。すらすら予想どおりに進む経験からは、人はあまり学びません。「うまくいかなかった」「思っていたのと違った」という経験こそが、地図を更新するきっかけになってくれるんですね。

失敗が学びになる、とよく言われますよね。あれは根性論ではなく、こういうしくみだったわけです。そう考えると、うまくいかなかった経験も、少しだけ味方に思えてきませんか。

同じ経験をしても、学べる人と学べない人がいる——なぜでしょう

ここで1つ、不思議なことがあります。

まったく同じ出来事に出くわしても、そこから多くを学ぶ人と、何も持ち帰らない人がいます。同じ授業を受けても、同じ旅行に行っても、得るものはぜんぜん違いますよね。なぜなのでしょう。

カギは「問い」です。

問いといっても、ものすごく大げさなものでなくてかまいません。「これ、どうなってるんだろう?」「なんでこうなるんだろう?」という、心の中の小さなアンテナのことです。

このアンテナを立てている人は、出来事の中の「あれ?」をキャッチできます。アンテナがない人は、同じ「あれ?」が起きても、素通りしてしまうんですね。経験そのものは、誰の前にも平等にやってきます。けれど、それを学びに変えられるかどうかは、問いというアンテナを立てているかどうかで決まる。ここが大切なところです。

よく「経験10年のベテラン」と言いますよね。でも、なかには「1年ぶんの経験を、ただ10回くり返しただけ」の人もいます。問いを持たずに同じことをくり返していると、年数だけが過ぎていってしまいます。逆に、いつも「もっと良いやり方はないかな?」と問うている人は、同じ1年でも地図をどんどん描き直していくんです。

つまり、こういうことなのだと思います。

経験は学びの「材料」。問いは、その材料を受け取る「アンテナ」。アンテナがないと、材料はそのまま通り過ぎてしまう。

「わかった!」の正体——地図が描き直される、2つのやり方

地図が描き直される、と言ってきました。でも、その描き直し方には、実は 2種類 あります。これを知ると、学びの解像度がぐっと上がりますので、一緒に見ていきましょう。

ひとつめは、地図に少し書き足すだけで済むパターンです。

たとえば、犬を知っている子どもが、はじめてチワワを見たとします。見たことのない小さな犬だけれど、「あ、これも犬だ」とすぐに理解できますよね。すでにある「犬」という地図の中に、すんなり収まるからです。新しいものを、手持ちの枠にうまく当てはめる——これが1つめのやり方です。

ふたつめは、地図そのものを作り直すパターンです。

同じ子どもが、はじめてオオカミを見たとしましょう。犬に似ているから、つい「犬だ」と言います。でも大人に「あれは犬じゃなくてオオカミだよ」と教わる。すると子どもは、「犬」という枠を広げたり、「犬とオオカミは別もの」という新しい枠を作ったりしなければなりません。手持ちの地図に収まらないから、地図のほうを組み替えるわけです。

ちなみに、心理学ではこの2つに名前がついています。前者を「同化(どうか)」、後者を「調節(ちょうせつ)」と呼びます。難しそうな言葉ですが、中身はシンプルですので、安心してください。

  • 同化=新しいものを、すでにある枠に当てはめる(地図に書き足す)
  • 調節=枠そのものを作り変える(地図を描き直す)

学びが浅いとき、私たちは同化ばかりしています。新しい話を、自分の知っている枠に押し込んで「わかったつもり」になってしまう。心当たり、ありませんか。本当に深い学び——世界の見え方が変わるような学び——が起きるのは、調節のとき、つまり地図そのものが組み替わるときなんです。

そして、その引き金になるのが、さっきの「あれ?」という違和感の 大きさ なのです。ここから先は、次の編で、脳の中をのぞきながら、一緒に確かめていきましょう。