連載「「あれ?」が、あなたを賢くする」· 第1編/全3編
はじめに:あなたは今日、何かを「学んだ」だろうか?
ちょっと思い出してみてほしい。あなたは今日、何かを「学んだ」だろうか。
「いや、特に何も」と思ったかもしれない。でも本当にそうだろうか。電車が思ったより混んでいて、明日は一本早く出ようと思った。友だちのひとことに、なぜかモヤッとした。料理の火加減を、前回より少しだけ弱めた——こういう小さなことも、実は「学び」だ。
この記事は、「学ぶってそもそも何なのか」を、できるだけやさしく、でもごまかさずに掘り下げていく。難しい言葉が出てきても、そのつど身近なたとえで説明するので、置いていかれる心配はいらない。読み終わるころには、勉強や仕事や日常の見え方が、ほんの少し変わっているはずだ。
では、いちばん基本の問いから始めよう。
そもそも「学ぶ」って、知識が増えること?
「学び」と聞くと、たいていの人は「知識が増えること」を思い浮かべる。教科書を読んで、用語を覚えて、テストで答えられるようになる——たしかにそれも学びだ。
でも、それだけだとうまく説明できないことがある。
たとえば、自転車に乗れるようになったとき。あなたは何か新しい事実を暗記しただろうか。していない。「ペダルをこぐと進む」なんて、乗れない頃から知っていた。それでも、ある日とつぜん乗れるようになる。これは間違いなく「学び」だ。でも、知識が増えたわけではない。
逆のケースもある。テスト前夜に必死で暗記して、翌日には全部忘れてしまった単語。あれを「学んだ」と胸を張って言えるだろうか。なんだか言いにくい。
つまり、学びは「知識が増えること」とイコールではない。もっと近いのは、こういう言い方だ。
学びとは、世界との関わり方が、以前とは少し変わること。
頭の中に、世界の「地図」があると想像してみてほしい。何がどこにあって、何をすればどうなるか、という見取り図だ。学ぶというのは、この地図が描き直されることだ。自転車に乗れるようになるのは、「体をこう動かせばバランスが取れる」という地図が体に刻まれるからだ。一夜漬けの単語が学びになりにくいのは、地図がほとんど書き換わらないまま、すぐ消えてしまうからだ。
この「頭の中の地図」というイメージは、これから何度も出てくる。覚えておいてほしい。
学びのスイッチは、「あれ?」という小さな違和感
では、その地図はどんなときに描き直されるのだろう。
答えは、ちょっと意外かもしれない。「思っていたのと違った」ときだ。
想像してみてほしい。あなたは飲み物だと思ってコップを手に取った。ところが持ち上げた瞬間、思ったより軽い。中身が空っぽだったのだ。その一瞬、「あれ?」と感じたはずだ。
この「あれ?」こそが、学びのスイッチだ。
私たちの頭は、いつも先回りして予想している。「このコップにはこれくらいの重さがあるはず」「この人はこう答えるはず」「ボールはあそこに落ちるはず」。そして予想どおりに事が運ぶと、地図はそのままでいい。書き換える必要がないからだ。
ところが予想が外れると——軽すぎたコップ、予想外の返事、思わぬ方向に転がるボール——頭は「おっと、地図が間違っていたかもしれない」と気づく。そして地図を描き直す。これが学びだ。
だから学びには、いつもちょっとした戸惑いや、心地よくなさがついてくる。すらすら予想どおりに進む経験からは、人はあまり学ばない。「うまくいかなかった」「思っていたのと違った」という経験こそが、地図を更新するきっかけになる。
失敗が学びになる、とよく言われるのは、根性論ではなく、こういうしくみなのだ。
同じ経験をしても、学べる人と学べない人がいる——なぜ?
ここで一つ、不思議なことがある。
まったく同じ出来事に出くわしても、そこから多くを学ぶ人と、何も持ち帰らない人がいる。同じ授業を受けても、同じ旅行に行っても、得るものはぜんぜん違う。なぜだろう。
カギは「問い」だ。
問いとは、ものすごく大げさなものでなくていい。「これ、どうなってるんだろう?」「なんでこうなるんだろう?」という、心の中の小さなアンテナのことだ。
このアンテナを立てている人は、出来事の中の「あれ?」をキャッチできる。アンテナがない人は、同じ「あれ?」が起きても、素通りしてしまう。経験そのものは、誰の前にも平等にやってくる。けれど、それを学びに変えられるかどうかは、問いというアンテナを立てているかで決まる。
よく「経験10年のベテラン」と言うけれど、なかには「1年ぶんの経験を、ただ10回くり返しただけ」の人もいる。問いを持たずに同じことをくり返していると、年数だけが過ぎていく。逆に、いつも「もっと良いやり方はないか?」と問うている人は、同じ1年でも地図をどんどん描き直していく。
つまり、こういうこと:
経験は学びの「材料」。問いは、その材料を受け取る「アンテナ」。アンテナがないと、材料は通り過ぎてしまう。
「わかった!」の正体——地図が描き直される、二つのやり方
地図が描き直される、と言ってきた。でも、その描き直し方には、実は二種類ある。これを知ると、学びの解像度がぐっと上がる。
ひとつめは、地図に少し書き足すだけで済むパターン。
たとえば、犬を知っている子どもが、はじめてチワワを見たとする。見たことのない小さな犬だけれど、「あ、これも犬だ」とすぐに理解できる。すでにある「犬」という地図の中に、すんなり収まるからだ。新しいものを、手持ちの枠にうまく当てはめる——これが一つめのやり方だ。
ふたつめは、地図そのものを作り直すパターン。
同じ子どもが、はじめてオオカミを見たとする。犬に似ているから、つい「犬だ」と言う。でも大人に「あれは犬じゃなくてオオカミだよ」と教わる。すると子どもは、「犬」という枠を広げたり、「犬とオオカミは別もの」という新しい枠を作ったりしなければならない。手持ちの地図に収まらないから、地図を組み替えるのだ。
ちなみに、心理学ではこの二つに名前がついている。前者を「同化(どうか)」、後者を「調節(ちょうせつ)」と呼ぶ。難しそうな言葉だけれど、中身はシンプルだ。
- 同化=新しいものを、すでにある枠に当てはめる(地図に書き足す)
- 調節=枠そのものを作り変える(地図を描き直す)
学びが浅いとき、私たちは同化ばかりしている。新しい話を、自分の知っている枠に押し込んで「わかったつもり」になる。本当に深い学び——世界の見え方が変わるような学び——が起きるのは、調節のとき、つまり地図そのものが組み替わるときだ。
そして、その引き金になるのが、さっきの「あれ?」という違和感の大きさなのだ。これは次の編で、脳の中をのぞきながら確かめてみよう。