連載「「あれ?」が、あなたを賢くする」· 第2編/全3編
脳のしくみと、「知りたい」という力
「あれ?」のとき、脳の中では何が起きているのでしょう。予想する機械としての脳と、私たちが進んで「知りたい」と思ってしまう好奇心のしくみを、やさしく見ていきます。
連載「「あれ?」が、あなたを賢くする」· 第2編/全3編
「あれ?」のとき、脳の中では何が起きているのでしょう。予想する機械としての脳と、私たちが進んで「知りたい」と思ってしまう好奇心のしくみを、やさしく見ていきます。
ここまでは「頭の中の地図」というたとえでお話ししてきました。では、実際の脳の中では、何が起きているのでしょう。少しだけ、のぞいてみましょう。
近年の脳科学には、これをかなりうまく説明する考え方があります。名前は少しいかついのですが、中身はやさしいので安心してください。予測処理(よそくしょり)という考え方です。
予測処理の考え方を、ひとことで言うと、こうなります。
脳は「予想する機械」である。
脳はいつも、次に何が起こるかを先回りして予想しています。そして実際に起きたことと、予想とを比べる。一致していれば、何もしません。ズレていたら、そのズレのぶんだけ、脳の中のモデル(さっきから言っている「地図」のことです)を修正します。
このとき生まれる「予想と現実のズレ」のことを、専門的には予測誤差(よそくごさ)と呼びます。要するに、あの「あれ?」を、科学っぽい言葉で言い直したものなんですね。予測誤差こそが、脳に「地図を直しなさい」と教える信号なんです。
おもしろいのは、脳が情報をどう扱っているか、というところです。脳は、予想どおりだったこと以外、つまりズレた部分だけを、重要な情報として上に送ります。予想どおりのことには、いちいち注意を向けません。だから私たちは、いつもと違うことに「ハッ」とするし、いつもどおりのことは記憶に残りにくいのです。脳は、サボれるところはサボって、驚いたところにだけ力を注ぐ。なかなか賢い節約家なんですね。
では、地図を直すとき、脳の中の記憶はどうなっているのでしょう。
ここで、シンクレアとバレンセという研究者たちの実験を紹介させてください。彼らは、人にあるストーリー仕立ての映像を見せて、結末の直前でわざと映像を止める、ということをしました。「この先どうなるんだろう?」という予想が裏切られた状態を、あえてつくったわけです。
すると脳の中の海馬(かいば)——記憶づくりに深く関わる、タツノオトシゴのような形の部位です——が、その「予想外れ」に強く反応しました。そして驚くべきことに、予測誤差が大きいほど、いったん覚えていた記憶が書き換わりやすくなったのです(ときに、事実とは少し違う形で取り込まれることもあったそうです)(Sinclair & Barense ら, 『PNAS』誌, 2021年)。
つまり、予想が裏切られると、固まっていた記憶が一度ふにゃっとやわらかくなって、新しい情報を取り込みながら作り直される、ということなんですね。これは、記憶研究で「再固定化(さいこていか)」と呼ばれてきた現象と地続きの話です。粘土がいったんやわらかくなって、形を変えてからまた固まる——そんなイメージを持っていただけると、わかりやすいかもしれません。
私たちが「学んだ」と感じるとき、頭の中では、こんなことが起きていたわけです。なんだか、自分の頭の中がちょっと愛おしく思えてきませんか。
ここで、ちょっと感動的なお話をさせてください。
さっき、地図の描き直し方には二種類ある、とお話ししました。小さく書き足す「同化」と、作り直す「調節」でしたね。これは実は、ピアジェという心理学者が、なんと100年近く前に考えたアイデアなんです。当時はもちろん、脳の中をのぞく技術なんてありませんでした。
ところが最近の研究で、これと 響き合う ような現象が、脳の中(といっても、まずは動物実験で、ですが)観察されはじめています。
ある動物の学習実験では、「あれ?」の 大きさ で、脳の対応が変わる傾向が報告されています。
(Kennedy ら, 『eLife』誌, 2024年。ラットの学習実験です)
これは、ピアジェの同化・調節と 響き合う お話です。ただし、同じものだと確かめられたわけではありません——ラットの実験でわかったことが、人の概念的な学びにそのまま当てはまるかどうかは、これからの研究を待つ段階です。それでも、100年近く前に「人の心はこう動くはずだ」と考えられたことと、いまの脳科学とが、どこかで響き合っている。学びの研究を続けていると、ときどき、こういう瞬間に出会えるんですね。
ここは、もっと深く知りたい方向けの「おまけ」です。難しければ飛ばしてかまいません。でも、「同化」と「調節」を考えた本人が実際どう書いたのかをのぞいてみると、この二つの言葉が、ぐっと立体的になってきますので、よかったらお付き合いください。
同化・調節という考えは、ピアジェが『子どもにおける知能の誕生』(1936年)という本の冒頭で打ち出したものです。おもしろいのは、彼がいきなり「心」の話をせず、まず「生き物の体」の話から始めるところなんですね。ピアジェは「考える力(知能)も、つきつめれば、生き物が環境に適応するしくみの一種だ」と考えていました。だからまず体で説明して、それを心に当てはめる、という順番をとります。ここがわかると、一気に読みやすくなりますよ。
まず、体の話から。生き物の体は、食べ物のような外の物質を取り込んで、自分の体の一部に変えていきます。パンを食べれば、パンはあなたの血や肉になりますよね。このとき、体は「自分」のまま壊れません——外のものを、自分の仕組みの中に呑み込んでしまうわけです。ピアジェはこれを同化と呼びました。つまり同化とは、外の世界を、自分の枠に合わせて取り込むことなんですね。
ところが、環境が大きく変わって、これまでのやり方では取り込めなくなったら、どうするでしょう。そのときは、体の側が自分を作り変えて対応するしかありません。ピアジェはこちらを調節と呼びました。つまり調節とは、自分の側を、外の世界に合わせて変えることです。
そして彼は、こう結論します——「適応とは、同化と調節のバランス(均衡)である」と。
次に、これを心に当てはめてみましょう。ピアジェに言わせれば、考えることも、まったく同じだそうです。心の同化とは、新しい出来事を、自分がすでに持っている「わかり方の型」に当てはめて呑み込むこと。心の調節とは、その型のほうを、新しい出来事に合わせて作り変えること。私たちの「地図」のたとえで言えば、地図に書き込むのが同化、地図そのものを引き直すのが調節、というわけです。
いちばん大事なのは、ここからです。入門書ではよく「枠に収まれば同化、収まらなければ調節」と、まるで二択のように説明されます。でもピアジェ本人は、もっと踏み込んだことを言っているんですね。彼の主張はこうです——純粋な同化も、純粋な調節も、存在しない。
なぜでしょう。何かを「自分の枠に当てはめて理解する」とき、その枠じたいも、新しいものに合わせてほんの少し形を変えています(だから純粋な同化はありません)。逆に、枠を作り変えるときも、まったくのゼロからではなく、必ずいま持っている枠を足がかりにしています(だから純粋な調節もありません)。同化と調節は、別々の作業ではなく、一つの動きの表と裏なのだ、ということなんです。
ということは、さっきの「チワワは同化、オオカミは調節」という説明は、わかりやすくするための単純化だった、ということになります。ほんとうは、チワワを「犬」と認識する一瞬の中にも、「犬」という枠のごくわずかな更新(調節)が起きている。私たちは何かを理解するたびに、世界を呑み込みながら、同時に自分を少しずつ作り変えているわけですね。
——どうでしょう。同じ「同化・調節」でも、本人の言葉までたどってみると、ずいぶん景色が変わって見えてきませんか。これが「原典に当たる」ことの面白さなんです。機会があれば、ぜひあなたも、気になった考えの原典をのぞいてみてください。
ここまでは「予想が外れたら学ぶ」という、どちらかというと受け身のお話でした。でも人間には、もっと積極的な面があります。自分から進んで、知らないことに首をつっこむという性質です。これを好奇心と呼びますよね。
なぜ私たちは、わざわざわからないものに近づくのでしょう。得にならないことも多いのに、不思議ですよね。
これにも、ちゃんと脳科学の説明があります。能動的推論(のうどうてきすいろん)という考え方です。これも名前は難しいのですが、言っていることはシンプルですので、構えなくて大丈夫です。
私たちが何か行動を選ぶとき、頭の中では二つのものを天秤にかけている、というんですね。
ひとつは「目的の達成」です。お腹がすいたから食べる、ほめられたいから頑張る、といった、わかりやすい得のことです。
もうひとつが「情報を得ること」。つまり、「知らなかったことがわかってスッキリする」という、それ自体の心地よさです。
おもしろいのは、脳がこの二つを、同じ「価値」として扱っているらしい、という点なんです。たとえば、暗い部屋に入ったとき、私たちはまず電気をつけますよね。なぜでしょう。明かりをつければ、部屋の中の「わからなさ」が消えるからです。得になるからではなく、不確かさを減らしたいから、私たちは動くんですね。ここがおもしろいところで、脳はただ静かに予測できる状態へ閉じこもるのではなく、わざわざ情報を取りに動くんです。
問いを立てて、答えを探しに行く——これは、自分から進んで不確かさに飛び込み、それを解消しに行く運動なんですね。好奇心は、気まぐれな性格などではなく、私たちの脳に組み込まれた基本機能だ、というわけです。
だから、「これ、どうなってるんだろう?」と思ってしまう自分を、もっと信頼してあげてください。それは、あなたの学びのエンジンそのものなのですから。