連載「「あれ?」が、あなたを賢くする」· 第3編/全3編
ふり返りと、成長 — 問いが変わる
経験を学びに変える最後のひと手間「ふり返り」。そして成長とは、答えが増えることではなく、立てられる問いが変わっていくこと。一緒に確かめていきます。
連載「「あれ?」が、あなたを賢くする」· 第3編/全3編
経験を学びに変える最後のひと手間「ふり返り」。そして成長とは、答えが増えることではなく、立てられる問いが変わっていくこと。一緒に確かめていきます。
前の編では、自分から外へ手を伸ばす力(好奇心)のお話をしました。ここでは、その逆向きの動き——自分の内側へ目を向ける力 のお話をしましょう。これを「ふり返り(リフレクション)」と呼びます。そして実は、これがこの記事のいちばん大事な仕掛けかもしれません。
これまで「経験が学びの材料になる」と言ってきました。でも、正確にはこうなんです。経験は、そのままでは学びになりません。旅行に行っても、同じ失敗をくり返しても、ただ通り過ぎていくだけ、ということは多いですよね。経験を学びに変える「ひと手間」が要ります。それがふり返りです。教育学者のデューイも、経験そのものより、経験を ふり返ること にこそ学びがある、という趣旨のことを説いています。
思い出してみてください。「あれ?」という違和感は、学びのスイッチでしたね。でも、スイッチが入っただけでは、地図はまだ描き直されません。「あれ?」のあとに、「なぜ自分はそう思いこんでいたんだろう?」「何がずれていたんだろう?」と立ち止まる——この立ち止まりが、実際に地図を引き直す手を動かしてくれるんです。ふり返りとは、いわば 問いを、自分自身に向けること なんですね。アンテナを外に向ければ世界がわかる。内に向ければ、自分の見方が見えてくる。そういうことです。
ここで、同化と調節のお話を思い出してください(地図に書き足すのが同化、地図そのものを引き直すのが調節でしたね)。
ふり返りがいちばん効いてくるのは、まさにこの2つの分かれ道なんです。
地図に少し書き足すだけの同化なら、ふり返らなくてもできます。速いですし、ほとんど無意識です。ところが、地図そのものを組み替える調節は、いったん立ち止まって地図を眺めなければ、まず起きません。
それどころか——人は、ふり返らないと、せっかくの「あれ?」をなかったことにしてしまうんですね。予想が外れたのに、「いや、今のはたまたま例外だ」と古い地図に無理やり押しこんで、見て見ぬふりをしてしまう。これも一種の同化なのですが、これでは地図はちっとも良くなりません。誰にでも覚えのある、いちばんもったいないパターンではないでしょうか。
だから、ふり返りの本当の役割はこうなります。揺らいだ地図を、「古いままへの押し戻し」ではなく「新しい地図への描き直し」のほうへ導くこと。「あれ?」が開けてくれた一瞬の隙間を、逃さずに使うための作業、というわけです。
ここで、もとはテニスのコーチだったガルウェイという人の「インナーゲーム」という考え方が、見事に重なってきます。
彼が言うには、私たちの中には2人の自分がいるそうです。ひとりは、あれこれ命令して「ダメだ」「もっとちゃんとやれ」と裁き続ける声(彼はこれを セルフ1 と呼びました)。もうひとりは、本当はちゃんとやれる、体や直感の自分(セルフ2)です。そして彼の発見は、おどろくほどシンプルです——裁く声(セルフ1)が騒ぐほど、うまくやれる自分(セルフ2)の足を引っぱる。
これは、さっきの「あれ?」のお話と地続きです。予想が外れた瞬間に「自分はダメだ」という評価をかぶせてしまうと、その評価が、地図の描き直しをじゃましてしまうんですね。だから必要なのは、評価ではなく、ただの観察なんです。「失敗した」ではなく「ボールはネットの少し先に落ちた」。「自分はダメだ」ではなく「ここで声が固くなった」。良い・悪いをいったん外して、起きたことをそのまま見る。これだけです。
ガルウェイは、ある企業でのこんな試みを紹介しています。電話オペレーターたちに「もっと親切に」と命じる代わりに、お客さんの声のトーンの変化を、ただ1から10の数字で観察して記録してもらう、というものです。すると、命じてもいないのに応対は良くなり、しかも本人たちのストレスは減って、仕事が楽しくなった——そんな逸話なんですね。「変えよう」と力むのをやめて、「ただ見る」に切り替えただけで、変化のほうが向こうからやってきた、というわけです。
ふしぎに思えますよね。でも、理屈は同じです。評価でくもっていない、澄んだ「あれ?」——ありのままの気づき——こそが、地図をいちばんうまく描き直してくれるんです。
ふり返りにも、浅い・深いがあります。
浅いふり返りは、「何を間違えたか」を見直すこと。もう少し深いと、「どういうやり方で考えたから間違えたか」を見直します。そして、いちばん深いふり返りは——「そもそも自分は、何を当たり前だと思いこんでいたんだろう?」と、前提そのものを問うことなんです。
変容的学習を唱えたメジローは、この「前提を問うふり返り」こそが、人のものの見方を根っこから変える、と考えました。たとえば「努力すれば報われるはずだ」「あの人はこういう人だ」——こうした、ふだん疑いもしない当たり前を、いったん机の上に取り出して眺めてみる。すると、それが「事実」ではなく「自分が握っていた1つの見方」にすぎなかった、と気づく瞬間がやってきます。そこで初めて、地図の土台ごと描き直されるんですね。
このことには、見逃せない意味があります。
「前提を問う」とは、これまで〈それで〉ものを見ていた眼鏡を、〈それについて〉眺められるよう、いったん外して手のひらに乗せることです。自分が埋もれていて気づけなかったものを、眺められる対象に引き出す——この動きこそ、次の章でお話しする「成長」の正体そのものなんです。ふり返りは、成長のエンジンだと言ってよいと思います。
最後に、大事な注意をひとつだけ。ふり返りは、万能でも、いつでも必要でもありません。
自転車に乗れるようになる学びは、ふり返りより、何度も転んで体で覚えるほうが近いですよね。技能や体の学びは、いちいち言葉でふり返らなくても進みます。
そして、もっと大事な注意があります。ふり返りは、「ぐるぐる」とは違うということです。同じ失敗を思い出しては「自分はダメだ」と責める、その場で足踏みするだけの反芻(はんすう)は、ふり返りに似ていますが、地図を描き直してはくれません。これは、さっき出てきた「裁く声(セルフ1)」が暴走している状態で、観察ではなく評価に呑まれてしまっているんですね。むしろ古い地図の同じ道を、何度もなぞって深くするだけになってしまいます。
両者を分けるのは、向きです。前へ進むふり返りは「次はどうするか」へ開いていきます。足踏みの反芻は「なぜダメだったか」に閉じていきます。ふり返って苦しくなるばかりのときは、それはもう学びの作業ではなくなっているサインかもしれません。どうか、自分を責めすぎないでくださいね。
——具体的なやり方として、ガルウェイが勧める「経験のサンドイッチ」という型が、とても使いやすいので紹介します。ひとつの経験を、前と後ろのパンではさむイメージです。
前のパン(始める前の準備):何かに取りかかる前のほんの数分、「今回は何に気づいていたいか」をひとつ決めておきます。たとえば「会議では、自分が話す“量”に注目してみよう」というふうに。これは、経験を受け取るアンテナ(問い)を、あらかじめ立てておく作業です。
具(本番の経験):実行中は、決めたところに、評価抜きで気づきを向けるだけ。「うまくやろう」ではなく「ただ見る」。これだけで十分です。
後ろのパン(終わってからのふり返り):終わったら、3つだけ自分に聞いてみます。「今日、どこで『あれ?』と思った?」「自分は何を当たり前だと思っていた?」「次はどうしてみる?」
たったこれだけで、ふだんなら通り過ぎていく経験が、地図を描き直す材料に変わります。遠回りに見えて、同じミスのくり返しや、ぐるぐるの空回りを減らしてくれる、いちばんの近道なんです。よかったら、次の何かで1度ためしてみてください。
さて、ここまでで、問い・経験・学びのしくみが見えてきました。最後に「成長」について、一緒に考えてみましょう。
成長と聞くと、「できることが増える」「知識が増える」と思いがちですよね。それも、もちろん正しいです。でも、もっと深いところで起きている変化があるんです。
それは、立てられる問いそのものが変わる、ということなんですね。
小さな子どもは「空はなんで青いの?」と聞きます。物理を学んだ人は、まったく違う問いを立てます——「光が大気の粒にぶつかると、どの色がどんなふうに散らばるんだろう?」と。同じ「空の青さ」に対して、問いの深さがまるで違いますよね。
成長した人というのは、すごい答えをたくさん持っている人、というより、前の自分には立てられなかった問いを、立てられるようになった人なんだと思います。
ここで思い出してください。問いは、経験を受け取るアンテナでしたね。ということは——問いが深くなれば、そのぶん、これまで素通りしていた経験から、もっと多くを学べるようになります。学べば、また問いが変わる。すると、さらに学べる。
これは、ぐるぐる回りながら少しずつ上がっていく、らせん階段のようなものです。同じ景色(同じテーマ)の前に何度も戻ってくるけれど、戻るたびに少し高い位置から見下ろしている。だから、見える範囲が前より広い。これが成長なんですね。
最初に「問いが経験を方向づける」と言い、いま「成長すると問いが変わる」と言いました。つまり問いは、すべての 出発点 であり、同時に成長の 結果 でもある、ということです。ぐるりと一周して、つながりましたね。
そして、成長にはもう1つ、見落としやすい顔があります。ここまでは「地図が豊かになる」「問いが深まる」という、足し算の成長を見てきました。でも、さっきの「インナーゲーム」のガルウェイは、こんな式を残しています——成果=潜在能力−妨害。
私たちの力が出てこないのは、力が足りないからとはかぎりません。恐れや、自己疑念や、「失敗するな」という力みが、ブレーキのように力を押さえこんでいることのほうが、むしろ多いんですね。だとすれば、新しく何かを足さなくても、そのブレーキを静かに離すだけで、もともとあった力は出てきます。ブレーキを踏んだままアクセルを踏んでも、車はうなるだけですよね。
これが 引き算の成長 です。覚えること・できることを増やすのと同じくらい、自分の力をふさいでいた余計なものを手放すことも、立派な成長なんです。地図を描き足すだけでなく、地図の上で力んでいた手を、ときにはゆるめてやること。どうか、そのことも忘れないでいてください。
ここまで脳科学のお話をしてきましたが、正直にお伝えしておきたいことがあります。
「予想する機械としての脳」という考え方は、とても強力で人気があります。けれど、まだ 研究者のあいだで議論が続いている途中 の理論なんです。
たとえば、「この考え方は、なんでも説明できてしまうぶん、逆に何も予言していないのでは?」という批判があります。どんな結果が出ても後づけで説明できるなら、それは本当に正しい理論なのか確かめようがない、というわけですね。また、「無理に1つの理論ですべてを束ねるより、いろんな説明を並べて持っておくほうがいい」という、慎重な意見もあります。
これは弱点の告白のように聞こえるかもしれませんが、同時に、この記事のテーマそのものでもあるんです。
「まだわからないことがある」と正直に認め、「本当にそうか?」と問い続ける。それこそが、ここまでお話ししてきた学びの姿ですよね。きれいに完結した答えより、まだ開いている問いのほうが、ずっと価値があります。この記事を読んで「ここはどうなんだろう?」と引っかかったなら、あなたのアンテナは、もう立っています。
長いお話を、さいごにぎゅっとまとめてみましょう。
問いというアンテナを立てると、経験の中の「あれ?」をキャッチできます。その「あれ?」が、頭の中の地図を1度やわらかくして、描き直してくれる。それが学びです。学びが積もると、問いの立て方そのものが変わる。それが成長です。そして新しい問いが、また次の経験を照らし出す。らせん階段は、こうして1段、上がっていくんですね。
だから、自分がどれだけ成長したかを知りたいとき、覚えた知識の量を数えなくて大丈夫です。代わりに、こう問いかけてみてください。
いまの自分は、以前の自分には立てられなかった、どんな問いを立てられるようになっただろう?
この問いに少しでも答えられたなら、あなたはちゃんと、らせん階段を上っています。そしてこの問いを持ち続けるかぎり、あなたはこれからも上り続けていけます。
学びは、知識をためる作業ではありません。問いを育てていく、終わりのない旅です。さあ、あなたの次の「あれ?」は、どこで待っているでしょうか。一緒に、見つけにいきましょう。
この記事の土台になった本や研究を、かんたんな説明つきで紹介します。気になったものから、のぞいてみてください。
学びと経験について
地図が描き直されるしくみ
問いと成長について
力を出す・楽しむ — 実践寄り
脳科学 — 少し歯ごたえあり
※ この記事は、学びについての考え方を入門向けにまとめたものです。それぞれの理論の正確な内容は、ぜひ原典で確かめてみてください——それ自体が、すばらしい学びになります。