連載「AIに任せきりにしない発信をつくる」· 第13編/全21編
テストのつもりが、本番を進めていた
「何もしない」が、徹底できていなかった話
本番前の「空打ち」は安全なはずでした。でも、出さないだけで内部の記録は進んでいて、後から「もう済んだこと」になっていた。安全モードの落とし穴を、自社SNS自動化づくりのふりかえりから一緒に。
連載「AIに任せきりにしない発信をつくる」· 第13編/全21編
「何もしない」が、徹底できていなかった話
本番前の「空打ち」は安全なはずでした。でも、出さないだけで内部の記録は進んでいて、後から「もう済んだこと」になっていた。安全モードの落とし穴を、自社SNS自動化づくりのふりかえりから一緒に。
安全のために「お試し」で動かしていたつもりが、あとから「あれ、これもう済んだことになってる?」と気づく。そんな、背筋がひやっとする瞬間に出会ったことは、ありませんか。
以前 小さく出して、確かめてから広げるという記事で、本番の前に「空打ち」をする話を書きました。空打ちというのは、本番とまったく同じ流れを動かすけれど、最後の最後だけ実行しない、という確かめ方です。出す直前まで全部通して、でも本物は出さない。安全に試せる、いい方法です。
ところが今回、その「安全なはず」の空打ちに、思わぬ落とし穴が潜んでいました。今日は、その続編というか、自分でつまずいた反省として、「空打ちにも気をつけどころがある」という話を一緒に見ていきましょう。
何が起きたか。発信のしくみを空打ちで回している間、Xには一本も投稿していませんでした。そこは設計どおり。問題は、その裏側でした。
しくみの中には、「この投稿は出し終わった」と記録をつける処理があります。出したものに済みの印をつけて、2度と出さないようにするためのものです。ところが空打ちのとき、本物は出していないのに、この「済みの印」だけは、ちゃっかりついていたんです。つまり、外には何も出ていないのに、内部の台帳の上では「もう出した」ことになっていた。
これが、あとで効いてきました。いざ本物に切り替えたとき、空打ちをしている間に予定時刻が過ぎたぶんは、すべて「済み」の印がついている。だから本物としては、2度と出てこない。出したいから本番にしたのに、肝心のそれが「もう出した扱い」で、永遠に出ない。お試しのつもりが、本番のデータを静かに先へ進めてしまっていたわけです。
なぜこうなったのか。原因はシンプルでした。「何もしない」の範囲が、中途半端だったんです。
私が「安全だ」と思っていたのは、「外に出さない」こと、その一点だけでした。Xへ投稿する、そこさえ止まっていれば大丈夫だ、と。でも実際には、ひとつの動作は「外に出す」と「出したと記録する」がセットになっていた。空打ちは、前半の「外に出す」は止めていたのに、後半の「出したと記録する」までは止めていなかったんです。出していないのに、出したと書く。これでは、外から見れば何も起きていないのに、内側では着々と進んでしまいます。
「やらない」と決めたなら、「やったことにする後始末」まで、まとめてやらない。
安全モードというのは、「目立つ本番動作を止めること」だと思いがちです。でも本当に大事なのは、その動作にくっついている地味な副作用——記録を書く、数を数える、状態を進める——まで、もれなく止めることでした。派手な部分だけ止めて安心していると、見えないところで台帳だけが進んでいく。これがいちばんたちが悪い。
この一件で、いちばん怖いと感じたのは、エラーが何も出なかったことです。
もし空打ち中にエラーで止まってくれたら、すぐ気づけます。でも実際は、すべてが「うまくいったように」見えていました。空打ちは順調、ログも穏やか、何の異常もなし。なのに、本物に切り替えた瞬間、「出るはずのものが出てこない」という形で、初めて異変が表に出た。
これは、空打ちだけの話ではないと思っています。世の中の「お試しモード」「下書き」「シミュレーション」には、たいてい同じ罠があります。「本物ではないから安全」と思っていても、その裏でこっそり、消費されたり、進められたり、上書きされたりしているものがある。“試しただけ”のはずが、“やったつもり”の記録だけが残る。そしてそれは、何かをやろうとした次の瞬間まで、姿を見せてくれません。
だからこそ、お試しだからと気をゆるめないことが大事になります。「本物じゃないから平気」と思った分だけ、見えない進行を見落としやすくなる。むしろお試しのときほど、“何が動いて、何が動いていないのか”に目を凝らしておく。安全なはずの場所でこそ、いちばん注意深くありたいんですね。
幸い、立て直しはできました。空打ちのあいだに「済み」になってしまったぶんのうち、本当は出したいものを私が選び、AI に頼んで、その「済みの印」を消して、これからの枠に予約し直してもらった。台帳を本来あるべき状態に巻き戻して、未来へ並べ直したわけです。
そのうえで、心に刻んだことがあります。安全モードを作るときは、「何を止めるか」を一点ではなく、その動作にぶら下がる後始末まで含めて、ぜんぶ書き出して確かめる。「出さない」だけでなく「出したと記録しない」「数えない」「次へ進めない」まで、セットで止める。お試しは、外から見て静かなだけでは足りない。内側でも、本当に何も動いていない状態にして、はじめて「安全」と呼べるのだと思います。
空打ちの理想は、すこし欲ばりです。本番とそっくり同じ道を通ってほしい——でないと、確かめたいことが確かめられない。けれど同時に、外にも内にも、何ひとつ痕跡を残してほしくない。「そっくり」と「無害」、この2つを同時に満たせて、はじめて安心して何度でも試せます。
私がつまずいたのは、「そっくり」を優先するあまり、「無害」のほうがおろそかになったからでした。本番と同じ流れを通すことばかり考えて、その流れがついでに残していく記録のことを、見落としていた。避難訓練にたとえるなら、本物そっくりに動いたのはいいけれど、訓練のはずが非常ベルで本当に消防へ通報してしまった、というようなもの。動きが本物に近いほど、こうした「ついでの副作用」まで本物に近づいてしまうんですね。
だから空打ちを作るときは、流れを一歩ずつたどりながら、「この一歩は、外か内に、何かを残さないか」を1つずつ確かめておくのがいい。出す、記録する、数える、減らす、知らせる——本番がこなしている小さな仕事を書き出して、そのどれもが訓練中はちゃんと空ぶりになっているか。地味な棚おろしですが、これをやっておくと、「そっくりなのに無害」という、ちょうどいい空打ちに近づけます。確かめたいのは流れだけ、残したくないのは痕跡だけ。その線引きを先にしておくほど、空打ちは安心して何度でも使える道具になっていきます。
試すこと自体は、とても良いことです。いきなり本番に飛び込むより、ずっと安全。その価値は、今でも変わらず信じています。
ただ、「お試し」という言葉は、私たちを少し油断させます。本物じゃないんだから、何が起きても大丈夫、と。でも、お試しの裏側で、見えない台帳が一行ずつ進んでいることがある。安全なのは「外に出さないこと」だけで、内側はちゃっかり本番だった、ということが起こりうる。
あなたがいま「とりあえずお試しで」と動かしているもの。それは本当に、何も起きていないでしょうか。外に何も出ていないことと、内側で何も進んでいないことは、別の話です。1度だけ、「止めたつもりの動作に、こっそり付いてくる後始末はないか」を覗いてみる。その小さな確認が、後から「もう済んだことになっていた」と青ざめる事態を、防いでくれるはずです。