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7 min read AI協働発信コンテンツ

連載「AIに任せきりにしない発信をつくる」· 第14編/全21編

作ったのに、たどり着けない

危うく、告知に「帰り道」を付け忘れるところだった話

これから自動で出していく告知の下書きから、肝心の「続きはこちら」のリンクが抜けていた。あとで付けるはずのしくみが、作られていなかったのです。出す前に気づけた実装漏れの話を、自社SNS自動化づくりから一緒に。

安宅春樹 (Ataka Haruki)

— AZASLAB代表 ・ AIエージェント開発ディレクター

— Shimizu Fumio Architects Co., Ltd. 取締役

「いいね」はつくのに、その先がなかったら

がんばって作ったものを告知して、見てはもらえるのに、肝心の作品や記事まではたどり着いてもらえない——もし「続きはこちら」の一行が抜けていたら、そんなことが起こりえます。そう想像すると、ひやりとしませんか。

AZASLAB の発信を自動化するしくみは、自分たちのブログ記事をXで告知します。スレッドを組んで、内容のさわりを伝えて、興味を持ってもらう。その下書きを点検していて、気づいたんです。これから自動で出していく告知の下書きから、肝心の「続きは、この記事で読めますよ」という案内——記事へのリンクが、すっぽり抜けていたことに。

幸い、まだ投稿する前でした。すでに出していたぶんには、手で帰り道を付けてあった。問題は、これから自動で量産して出していく下書きのほうです。今日は、その「帰り道の付け忘れ」になぜ気づけたのか、そしてなぜ起きていたのかを、一緒に見ていきましょう。出してしまったあとの失敗談ではなく、出す前に拾えた、という話です。

「あとで付けて」と指示したのに、実装が抜けていた

なぜ下書きからリンクが抜けていたのか。先に言ってしまうと、指示が抜けていたわけではありません。抜けていたのは、その指示を形にする実装のほうでした。

このしくみは、私が方針を決めて、文章づくりも、こまかな実装も、AI に任せて作っています。スレッドの本文もそう。そのとき私は、AI にこう指示していました。「本文にURLは書かないでください。記事へのリンクは、あとでしくみのほうが自動で付けます」と。長いURLが本文に混じると読みにくいので、出す直前に、しくみの側でそっと付け足そう、と考えていたわけです。

指示そのものは、間違っていませんでした。AI はちゃんと、URLを書かずに本文を仕上げてくれた。問題は、その続きです。「あとでしくみが付ける」という方針は、ちゃんと決めて、AI への指示にも書いてありました。なのに——その「付ける」しくみが、ブログ告知については、実際には作られていなかったんです。方針はあるのに、それを動かす実装だけが無い。いわゆる実装漏れです。本文から URL を外すところまでは効いていたのに、肝心の「あとで付ける」ほうが、できあがっていなかった。だから、自動でできあがる下書きは、どれも帰り道のないまま、出番を待っていました。このまま本番にしていたら、リンクのない告知が、次々と自動で出ていくところだったわけです。

「あとで付ける」は、付ける部分を作って初めて、付いたことになる。

抜けていることに、どう気づいたか

やっかいなのは、こういう「抜け」は、自分からは声を上げてくれないことです。下書きはちゃんとできている。文章も整っている。ただ、リンクだけが無い。眺めているだけでは、なかなか気づけません。

気づけたのは、1度ちゃんと確かめたからでした。「これまで出した分も含めて、記事への導線はちゃんと付いているか。そもそも、付けるしくみになっているか」——そう疑って、投稿ずみのものも、これから出す下書きも、一本ずつ点検した。すると、すでに出したぶんには手で付けた帰り道があったけれど、これから自動で出すぶんは軒並みリンクが抜けていて、「付けるはずのしくみ」が、実はどこにも無いとわかった。確かめてみて初めて、約束と中身のズレが、出る前に表に出てきたわけです。

考えてみると、あるものを確かめるのは簡単です。目の前にあるかどうか、見ればわかる。難しいのは、無いものに気づくこと。「あるはずのものが、無い」は、わざわざ探しにいかないかぎり、ずっと視界に入ってきません。だから、たまには「出ていないはずがないのに、本当に付いているか」を、名指しで確かめにいく。今回の抜けも、そうやって名指しで点検して、出す前に見つかったものでした。

リンクは、いちばん目立つ場所に置かない

直すにあたって、もう1つ考えたことがあります。「では、リンクをどこに置くか」です。

ふつうは、いちばん目立つ場所——スレッドの一番最初——に置きたくなります。でも、ここに直感に反する事情がありました。発信の場では、最初の投稿に外へのリンクを入れると、かえって多くの人に届きにくくなることがあるんです。場のしくみとして、「外へ連れ出すもの」はあまり広げたくない、という力が働く。

そこで、リンクは連なりのいちばん最後、続きを読んでくれた人の目の前に置くことにしました。最初のひと言で足を止めてもらい、読み進めてくれた人にだけ、最後にそっと帰り道を差し出す。目立たせること=届くこと、ではない。ちゃんと読んでくれた人に過不足なく渡るほうが、結果としてよく働く。「とにかく目立つところに置けばいい」という思い込みが、ここで1度ほどけたのは収穫でした。

毎回ちゃんとやる、より、しくみで付く

そして根っこの対策として、リンクを「人が毎回ちゃんと付ける」のではなく、「しくみのほうで、もれなく付く」ようにしました。

今回の抜けの正体は、つまるところ「付け忘れ」です。付け忘れは、注意力に頼っているかぎり、いつか起きてしまう。だったら、注意ではなく、しくみで守る。承認して送り出す段になったら、その記事の帰り道(と、関連して クリシンクエスト のような“次に触れてほしいもの”への案内)が、自動で末尾に付く。今度はちゃんと、その「付ける」部分まで AI に作ってもらいました。これで、私が忘れても、忙しくても、帰り道のない告知が出ていくことは、もうありません。

あわせて、出番を待っていた下書きも直しておきました。これから出る予定の予約ぶんに、あらためて帰り道を付け直してもらったんです。約束だけだった「あとで付ける」を、ようやく本当に動くしくみにして、まだ出していない手前のものまで整えておく。「これから」のしくみを直すと同時に、出す前の在庫も拾っておけば、本番に切り替えても、抜けたまま出ていくものは無くなります。

ただ貼るだけでは、帰り道にならない

もうひとつ気づいたのは、帰り道は、ただ置けばいいわけではない、ということです。

文章の最後に、裸のURLがぽつんと貼ってあるだけ——これでも道ではあります。でも、読む人には「これを押したら、何があるんだろう」がわからない。わからないものは、押されません。同じ一本でも、「この続きは、ここで全部読めます」とひとこと添えるだけで、ただの記号が「行ってみたい場所」に変わる。

ここで気をつけたのは、案内であって、押し売りにはしないことです。「今すぐ読んで」「見逃さないで」と急かすと、せっかく温まった気持ちが、すっと引いてしまう。AZASLAB がふだん大事にしている「煽らない」を、帰り道のひとことでも守りたかったんです。だから実際の案内も、「この続きはこちらで読めます」とだけ伝えて、あとは関連して触れてほしいものを、そっと一行そえる程度にとどめました。読みたい人が、自分の足で行ける。それくらいの距離感が、ちょうどいいと思っています。

おわりに:その発信に、帰り道はありますか

発信というと、つい「どう目立つか」「どう興味を引くか」という入り口ばかりを考えます。でも、引きつけた関心を、最後にどこへ送り届けるか——その出口のほうも、同じくらい大事でした。

そして今回いちばん効いたのは、立派なしくみよりも、「本当に付いているか、出す前に1度確かめてみる」という地味な点検でした。下書きが整っているように見えても、中身が抜けていることはある。だから、出す前に確かめにいく。立派なものを足すことよりも、足したはずのものがちゃんと働いているかを見にいくこと。それが、いちばん地味で、いちばん効いたんです。

あなたの発信には、ちゃんと帰り道がついているでしょうか。1度、自分の告知をいち読者として眺めて、「で、この続きはどこ?」と思ったとき、その答えがそこにあるか。出す前に確かめてみる価値があります。