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6 min read AI協働開発健康

連載「糖質/インスリン比 目安アプリをつくる」· 第5編/全7編

あえて、機能を引っ込める

インスリンに触れる道具と、規制への向き合い方(その5)

作れるのに、あえて出さない。インスリンの量に触れる道具をどこで止めるか——同意・注意・既定オフという引き算の設計と、「制約が信頼になる」という気づきを一緒に。

安宅春樹 (Ataka Haruki)

— AZASLAB代表 ・ AIエージェント開発ディレクター

— Shimizu Fumio Architects Co., Ltd. 取締役

便利な機能を、あえて引っ込めた

作れるのに、あえて出さない——そんな判断を迫られたこと、ありませんか。

ここまで4回は、機能を「足す」話でした。糖質を計算し、ICRを逆算し、グラフで振り返る。便利になっていく過程は書いていても楽しいものです。でも今回は逆の話。インスリンの量に触れる道具を世に出すというのは、便利さを足すだけでは済みません。むしろ「どこで止まるか」を決めるほうが、ずっと重い。医療と規制に正面から向き合った回を、一緒に見ていきます。

居心地の悪い問い

正直に書きます。作りながら、ずっと頭の片隅にあった居心地の悪い問いがありました。「これは、医療機器なのではないか」。

日本には「プログラム医療機器(SaMD)」という考え方があって、ソフトウェアでも診断や治療を支援するものは、医療機器として規制の対象になりえます。単なる記録・可視化アプリなら、まず問題にならない。けれど私のアプリは、ICRを計算し、設定によっては必要なインスリン単位の目安を出す——つまり投与量に近いところに触れている。ここはグレーゾーンなんですね。

これは無料か有料かと関係ありません。無料で配っていても、医療機器に該当すると判断されれば、広く配ること自体が制限されうる。「みんなに無料で届けたい」という願いと、この規制は正面からぶつかるわけです。実際、海外の有名なアプリも、インスリンの投与推奨にあたる機能は国や有料版を限定して慎重に扱っています。素人が「便利だから」と無造作に踏み込んでいい領域ではない。

私はここで1度、立ち止まりました。便利な計算機を作っている、という気軽な気持ちのままではまずい。便利さと安全が天秤にかかったとき、迷わず安全に倒せる構えを、設計の段階で作っておく必要がある。あなたが何かを世に出すときも、「ここは踏み込んでいい領域か」を1度立ち止まって見る瞬間が、きっとあるはずです。

どこで止まるかを、設計の中心に置く

選んだのは、機能を「記録 + 目安計算 + 強い医療免責」に留め、自動的な投与量の決定や診断支援には踏み込まない、という線引きでした。そしてこれを、後付けの注意書きではなく設計の真ん中に据えました。具体的には3つ。

1. 最初に、同意してもらう

初めて開くと、医療免責の画面が出ます。「これは記録と目安計算の補助ツールです」「表示される値はすべて参考です」「投与量や治療方針の調整は、必ず主治医の指示に従ってください」。読んでチェックして同意するまで、アプリは使えません。うっとうしいと思われるかもしれない。でも、この道具が何であって何でないかを、使い始める前にはっきり共有しておきたかった。

2. 目安の真横に、注意を置く

目安を表示するときは、そのすぐ横に「目安です。投与量は主治医の指示に従ってください」と添えます。注意書きを利用規約の奥にしまわず、数字の真横に置く。数字と注意を、いつもセットで目に入るようにする。

3. そして、目安計算は「既定でオフ」

これがいちばん大きな決断でした。推定必要単位や、ルールによるISF/ICRの候補——前向きに投与量を示唆する機能を、初期状態ではすべて非表示にしたのです。既定では「記録して、振り返る」だけの道具として動く。「次に何単位打つべきか」に近い数字は出さない。必要な人が、設定で、自分の意思でオンにできる。

便利な機能をわざわざ引っ込める。エンジニアの感覚ではもったいない話です。でも、自由に・広く配れるようにするには、ここで止まるほうがいいと判断しました。完全に消すのではなく、必要とする人が自分の意思と責任で有効にできる余地は残す。既定は安全側にしつつ、選ぶ自由は残す——その塩梅が、いまの私なりの答えでした。

制約が、信頼になる

機能を足すときは、できることが増える喜びがある。引っ込めるときは、ぐっとこらえる感覚があります。でも、やってみて思ったのは——この「こらえる」こそが、医療まわりの道具の品格なのかもしれない、ということでした。

何でもできる道具は、頼もしく見えて実は危うい。「ここから先は人間(医師と患者)の領域だ」と手前ではっきり止まる道具のほうが、長い目で見て信頼できる。第1回で「最初の制約が、後の自由になる」と書きましたが、ここでも同じです。機能の制約が、配布の自由と、使う人の安心になる。

考えてみれば、信頼できる専門家ほど「自分はここまでしか言えません」という線引きがはっきりしています。何でも断言する人より、分からないことを分からないと言える人を、私たちは信用する。道具も同じで、「これは参考です」「ここから先は主治医と」と役割の限界を正直に示すほうが、安心して手に取れる。限界を隠さないことが、信頼の作法なのだと思います。

この線引きは、使う人の決定権を守ることでもあります。何でもやってくれる道具は、最初こそ楽でも、だんだん「自分で考えなくていい」に慣れさせてしまう。逆に、要所で「ここはあなたが決めてください」と手を止める道具は、使う人の判断する力を、その人の手元に残します。とくに体や暮らしの大事な決定では、肩代わりしないことがそのまま親切になる。便利さは、気づかないうちに相手から決定権を少しずつ取り上げてしまうので、どこまでを引き受けて、どこから先は手渡すのか。その境目を意識して引いておきたいんですね。どこまでを肩代わりするかは、その相手をどれだけ信頼しているかの表明でもあります。決めてあげるより、決めるための材料を整えて手渡すほうが、相手の力を信じている証になる。

そしてもうひとつ。前向きな投与量の示唆を既定でオフにしても、価値はちゃんと残りました。糖質を計算し、傾向を見せ、グラフで振り返る——これだけでも毎日の判断はずいぶん楽になる。危ない一線の手前で止まっても、失うものは思ったより少なく、むしろ胸を張って配れるようになった。なお、該当性そのものは私の自己判断で「大丈夫」と決めるべきものではありません。専門の相談窓口で確認したうえで、非該当に収まる設計を固めていく——その過程も、このブログで正直に記録していきます。

おわりに:あなたの道具は、どこで止まりますか

今回は、インスリンに触れる道具として、どこで止まるかを決めた話でした。同意画面を置き、目安の真横に注意を添え、前向きな投与量の示唆は既定でオフにする。便利さを足すのとは逆の、引き算の設計です。

あなたが作るものにも、「ここから先は踏み込まない」と決めるべき一線が、どこかにあるかもしれません。その線を、注意書きとして末尾に足すのではなく、設計の真ん中に据えてみる。制約は、不自由ではなく、むしろ信頼の土台になります。

次回は視点を変えて「お金」の話を。これを無料のまま、どうやって続けていくのか——ライセンス・ソース公開・支援の設計を、一緒に見ていきます。


アプリは carb-icr(無料・通信なし・ブラウザで動くPWA)。プロジェクトの概要は carb-icr のプロジェクトページ に。

本記事と本アプリは、記録と目安計算の補助です。算出・表示される値はすべて参考であり、診断・治療や実際のインスリン投与量の決定を行うものではありません。投与量・治療方針は必ず主治医の指示に従ってください。