連載「AIと、本を売ってみる」· 第3編/全9編
「好き」で作ると、外してしまう
装飾ではなく、調べた根拠で決める
AIに作らせたPin画像を、最初は自分の好みで飾っていました。でもPinterestには「何が保存されるか」の傾向がある。好みより先に、根拠で作り直した話です。
連載「AIと、本を売ってみる」· 第3編/全9編
装飾ではなく、調べた根拠で決める
AIに作らせたPin画像を、最初は自分の好みで飾っていました。でもPinterestには「何が保存されるか」の傾向がある。好みより先に、根拠で作り直した話です。
何かをデザインするとき、つい自分の「いいな」に手が動いてしまうこと、ありませんか。ここに飾りを足したら品が出る、この余白が好き、この色が落ち着く。手は気持ちよく動きますし、それなりに整ったものになります。でも、ふと立ち止まると、こんな声がします。これ、自分が好きなだけで、見る人がそれを欲しがる理由になっているのだろうか、と。
私はいま、自分の本のPin、つまりPinterestに置く画像を、AIに作らせています。最初に返ってきたのは、見た目を整えることに寄った1枚でした。背景に薄い模様を敷き、余白を広めにとった、雰囲気のあるつくり。たしかに、それらしくは見えます。私も、これでいいかと、手を伸ばしかけました。けれど、眺めているうちに、ひっかかったのです。これは、私の目に気持ちいいだけで、保存する人の理由になっているのだろうか、と。
考えてみれば、私はまだ1度も調べていませんでした。自分の感覚だけで、これでよし、と決めかけていたのです。そこで、いったん指示を止めました。容易に決めずに、何が効くのかを先に調べさせよう、と。デザインの良し悪しは、つくり手の趣味で決まるものではありません。それを見る人が、どう反応するかで決まります。そして Pinterest のような場所には、その反応の傾向が、ある程度まで調べられて残っているのです。
なぜ私たちは、つい好みで決めてしまうのでしょう。たぶん、そのほうが速くて、気持ちがいいからです。調べるのは手間ですし、自分の感覚を否定されるのは、すこし痛い。それに、こうした媒体は、反応がすぐには返ってきません。保存されたかどうかが分かるのは、ずっとあとです。手応えが遅れる場所では、私たちは、目の前の「自分が気持ちいいか」を、つい判断のよりどころにしてしまう。だからこそ、調べた事実を、いったん自分の感覚の前に置いてみる意味があります。
Pinterestは、流して眺めるというより、気に入ったものを「保存」しておく場所です。検索して、見つけて、あとで使うためにためておく。だから、どんな1枚が保存されやすいかには、いくつかの傾向が知られています。調べてみて、私の「いいな」とはずいぶん違う事実が出てきました(いずれも各社の分析やまとめに基づく、2025〜2026年ごろの知見です)。
たとえば、人の顔が写っていない画像のほうが、写っているものより保存されやすい、という分析があります。あるまとまった調査では、顔のない画像のほうが保存が2割ほど多かったといいます。文字主体で顔のない私のPinは、その点では逆に都合がよかったわけです。色にも傾向がありました。赤やオレンジ、茶系は、青系よりずっと保存されやすい。縦長の比率(おおむね2対3)が、表示でも検索でも有利。そして、背景の余白が多すぎる画像より、中身でほどよく埋まった画像のほうが、よく保存される。
文字についても、はっきりしていました。小さくて読みにくい字は、スマホの一覧では消えてしまう。大きく、太く、ひと目で読めること。1枚にいくつもメッセージを詰めず、主役の見出しを1つに絞ること。日本のユーザーは、料理や一覧表やチェックリストといった、見ただけで中身がわかる実用的な1枚を保存していく。つまり、タイトルや説明を読む前に、画像だけで、これは何かが伝わることが大事なのです。Pinterestは、画像にのった文字も読み取って、検索の手がかりにします。だから、見出しが大きく明快であることは、見る人にとってだけでなく、見つけてもらうためにも効いてきます。
私が「いいな」と思っていた、ひかえめな余白や、雰囲気のある装飾は、ここではむしろ弱点でした。
そこで私は、自分の好みを、いったん脇に置くことにしました。
背景に敷いていた飾りを外し、空いた余白は、中身で埋めることにしました。大きなベネフィットの見出しを1つ、その下に、本に実際に書いてある項目を3つから5つ、リストで並べる。色は、ブランドの赤をしっかり効かせる。縦長で、文字は大きく。顔は入れない。できあがったものは、正直、最初に私が「いいな」と思っていたものとは、ずいぶん違いました。もっと素っ気なく、もっと用件のはっきりした1枚です。
たとえば、私が気に入っていた背景の飾りは、思いきって全部やめさせました。代わりに空いたところには、本の中身を、番号つきのリストで並べてもらう。眺めて美しいかと聞かれると、自信はありません。けれど、スクロールする指の中で、ひと目で「これは何の話か」が分かる。私が手放したのは飾りで、得たのは、伝わりやすさでした。
でも、それでよかったのだと思います。作り手が眺めて気持ちいいことと、見た人が思わず保存することは、別のものさしです。前者は自分のため、後者は相手のため。届けたいなら、ものさしは後者にそろえるしかありません。
では、ここから持ち帰れることは何でしょう。
ひとつは、作りはじめる前に、その媒体で「何が効くのか」を1度だけ調べることです。長い調査はいりません。検索して、いくつかのまとまった知見に目を通すだけでも、自分の思い込みは驚くほど揺さぶられます。私の場合、たった数本の記事を読んだだけで、余白も装飾も、見直すことになりました。順番が大事です。好みで作ってから直すのではなく、調べてから作る。具体的には、その媒体の名前に「コツ」や「何が伸びるか」を足して検索し、上位のいくつかのまとめに目を通すだけで十分です。公式のガイドがあれば、それも1度見ておく。10分か15分もあれば、自分の思い込みのいくつかは、ちゃんと崩れてくれます。
もうひとつは、好みを、なくす必要はない、ということです。エビデンスは、土台です。その土台の上に、ブランドらしさや自分の美意識を、最後の味付けとして足していく。私のPinも、型は調べた根拠で決めましたが、紙の色や赤の使い方には、自分たちの世界観を残しています。型が先、個性はあと。この順番さえ守れば、好きなものを、ちゃんと届くものにできます。
自分の感覚を疑うのは、すこし心細いものです。けれど、これもまた、この本のテーマと地続きでした。自分の「いいな」を、確かめずに正しいと思い込む。それも、ひとつの「分かったつもり」なのですから。
自分の感覚は、多くの場面で頼りになります。けれど、頼りになるからこそ、外れているときに気づきにくい。気持ちよく手が動いているときこそ、いちど立ち止まる合図なのだ、と今は思っています。調べることは、自分の感覚を捨てることではありません。感覚を、外の事実と1度だけ握手させること。そうやって確かめた感覚は、前より強くなって戻ってきます。AIに作らせるかどうかにかかわらず、最後にものを言うのは、この小さな確かめの一手間なのだと、今回あらためて思いました。
もしあなたが、何かを「いいな」で作りかけているなら。手を止めて、その媒体で実際に何が効いているのかを、ほんの少しだけ調べてみてください。あなたの「いいな」が、見る人の「いいな」と重なっているかどうか。その確かめが、作ったものを、自己満足から、届くものへと変えてくれます。
次の編では、その作り直しの途中でぶつかった、もうひとつの落とし穴の話を。自分にはすぐ伝わる言葉が、初めて見る人にはまるで届いていなかった、という気づきを、一緒に見ていきましょう。