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6 min read AIコンテンツづくり伝え方Pinterest

連載「AIと、本を売ってみる」· 第4編/全9編

初めての人に、その「たとえ」は見えていない

内輪の言葉で、入口を作らない

本の大事なたとえを、そのままPinに使ったら、初めて見る人には意味が通じませんでした。中身は変えず、入口だけ初見に開く。知識の呪いと、その外し方の話です。

安宅春樹 (Ataka Haruki)

— AZASLAB代表 ・ AIエージェント開発ディレクター

— Shimizu Fumio Architects Co., Ltd. 取締役

あなたにはすぐ分かる言葉が、初めての人には見えていない

自分にとっては当たり前の言葉が、相手にはまったく通じていなかった。あとからそう気づいて、ひやりとしたこと、ありませんか。専門の世界に長くいると、よく起きます。仲間うちでは一語で済む言い回しが、外の人には、ただの暗号に見えている。困るのは、話している本人だけが、それに気づけないことです。自分には見えているから、相手にも見えていると思ってしまう。

私はいま、自分の本のためのPin、つまりPinterestに置く1枚を、AIに何枚も作らせています。その本のいちばん大事なたとえに、「頭の中の地図」というものがあります。学ぶとは、知識を積み上げることではなく、頭の中にある世界の地図を、描き直すことなのだ、と。本のなかで何度も使う、背骨のような言葉です。AIも、その本をもとに文案を作るので、ある1枚のPinに、この「地図」をそのまま使ってきました。

本を読んだ人になら、これは一発で通じます。けれど、Pinを初めて見る人は、本など読んでいません。その人の目に、いきなり「地図を描き直す」と書かれた1枚が飛び込んできたら、どう映るでしょう。なぜ、ここで地図の話が出てくるのか。きっと、ぽかんとするはずです。できあがった1枚を見て、私はすぐに引っかかりました。本を書いた私には透明なほど自然なその言葉が、初めての人には、まるで見えていない。これでは、伝わらないのです。

「内輪の言葉」は、書いた本人ほど気づけない

これは、知識の呪いと呼ばれる、よく知られたつまずきです。いちど分かってしまうと、分からなかったころの自分を、うまく思い出せなくなる。だから、自分が知っていることは、みんなも知っているはずだと、つい前提にしてしまう。

やっかいなのは、この呪いが、いちばん詳しい人にこそ強くかかることです。テーマに詳しいほど、その世界の言葉が体になじんでいて、それが「特別な言葉」だという感覚が薄れていく。私にとっての「地図」も、まさにそうでした。何か月も本に向き合ううちに、その比喩は、もう説明が要る言葉だとは感じないくらい、自分の一部になっていた。だから、本をもとに文案を作るAIが、その地図をそのまま1枚に持ち込んできても、ふしぎはありません。なじんだ言葉は、作る側からは、いつのまにか見えなくなっているのです。

こういうことは、本づくりに限りません。エンジニアが「それ、キャッシュじゃない?」と言う。料理人が「あとは余熱で」と言う。どれも、その世界では一語で済む、便利な言葉です。けれど、外の人には、何の手がかりにもなりません。便利な言葉ほど、内側に閉じやすい。自分がなめらかに使えている言葉ほど、外では通じていないかもしれない。そう疑ってみる価値は、どんな分野にもあります。

なじんだ言葉が、作る側から見えなくなるなら、どうやって見つけるのか。答えは、書いた人の目で読まないことです。いちど、初めてそれを見る人の側に回って、読み直す。今回も、できあがった1枚を、本を読んでいない人のつもりで眺めたとき、あの地図が、ぱっと浮き上がって見えました。これは、ふだんから意識していないと、すり抜けます。だから私は、何かを世に出す前に、初見の目で1度通す、という役目を、自分の手元に残しています。

初見の、ほんの一瞬に立つ

Pinterestのような場所では、人はとても速く、保存するかどうかを決めます。タイトルや説明文を読み込む前に、画像だけを見て、ほんの一瞬で。つまり、その1枚は、なんの前提もない人に、一瞬で意味が通らなければなりません。本を読んでいる前提も、専門の知識も、そこには持ち込めない。

言いかえると、その1枚は、それだけで完結していなければなりません。前の話も、あとの話も知らない人が、その場で「ああ、これはこういう話か」と分かること。本のなかの1文なら、前後の文章が支えてくれます。でも、切り出された1枚は、たった一人で立たなければならないのです。

そこで、その1枚を書き直させました。「地図を描き直す」という言い方をやめて、初めての人にも、その場で分かる言葉に置き換える。本がほんとうに言いたかったのは、こういうことでした。予想と現実がずれた、その小さな引っかかりを、すぐに流さず、ちょっと立ち止まって、「なぜだろう」と問い直す。そうやって、自分の考えを取り直していく。「地図」という言葉を1度も使わずに、同じ中身を、初見の人の側から書く。

ここで大事にしたのは、中身を薄めないことでした。初めての人に合わせるというと、内容を子どもだましに変えることだと思われがちですが、ちがいます。変えたのは入口だけです。本のなかの深い話は、そのまま本に残っている。Pinはあくまで、その入口です。入口の扉に、内輪にしか読めない札を下げない。ただ、それだけのことなのです。

初めての人の目で、読み直す

では、ここから持ち帰れることを、いくつか。

ひとつは、書き終えたものを、その分野をまったく知らない人になったつもりで、もう1度読むことです。自分の名前も、肩書きも、これまでの文脈も、ぜんぶ忘れる。そのうえで、引っかかる言葉に印をつけていく。説明なしでは通じない言葉が、思ったよりたくさん見つかるはずです。それが、あなたの「内輪の言葉」です。

自分ひとりで初見の目になるのが難しければ、近道もあります。その分野を知らない人に、ほんの10秒だけ見てもらうことです。「これ、何の話に見える?」と聞いてみる。返ってきた答えがずれていたら、入口がまだ内輪を向いている合図です。たった1人の反応でも、自分の思い込みを外すには、じゅうぶんなことがあります。

もうひとつは、見つけた言葉を、消すのではなく、入口だけ開くことです。専門の言葉には、それでしか言えない大事さがあります。だから、捨てる必要はありません。初めて出てくるところで、ひとこと、やさしい言い換えを添える。あるいは、いちばん外側に置く1枚や1文だけは、内輪の言葉を使わずに書く。奥に進んだ人には、ちゃんと専門の言葉で深く話す。入口はやさしく、奥は深く。この2段構えにしておけば、はじめての人も、詳しい人も、どちらも置いていかずにすみます。私のPinも、いちばん外側の1枚は内輪の言葉を使わず、その先のリンクにある本文では、地図でも何でも、思うぞんぶん専門の言葉で話しています。置く場所で役割を分けてやれば、やさしさと深さは、けんかしません。

そして、これもまた、本のテーマと重なっていました。自分が分かっていることは、相手も分かっているはずだ。その思い込みは、相手にとっての「分かったつもり」ではなく、こちら側の「伝えたつもり」です。伝えたつもりで、伝わっていない。それに気づくには、いちど自分の外に出て、初めての人の目を借りるしかない。AIに文案を作らせるときも同じで、AIは私の内輪の言葉を、平気でそのまま使ってきます。だから最後に、初見の目で読み直す役は、自分に残しておくのです。

もしあなたが、自分のよく知っている何かを、誰かに伝えようとしているなら。書き終えたあとに、ひとつだけ試してみてください。それを初めて見る人になったつもりで、声に出さずに読んでみる。すらすら入ってこない言葉が、1つでもあれば、そこが入口です。立ち止まれたなら、あなたはもう、初めての人の目を、すこし借りられています。その扉の札を、誰にでも読める言葉に書き換えるだけで、あなたの伝えたいことは、ずっと遠くまで届くようになります。

次の編では、その入口に何を書くか、という話を。本がいちばん伝えたい1文を、煽らずに、それでいて手に取りたくなる1枚へ、どう落とし込んだかを、一緒に見ていきましょう。